【サット・サンガ】プラーナーヤーマとチャクラ
ビージャのサット・サンガはオンラインで行っています。
瞑想のヨーガの教典『ヨーガ・スートラ』をわかりやすく解説した本を読んでいます。
瞑想に興味がある方、ヨーガを深めたい方、どなたでも無料で参加できる集まりです。
コロナは大変でしたが、また、まだ完全に終息してはいませんが、リモートで繋がりながら、無理なく学びを深められるやり方を発見できたので、このやり方で継続していこうと思っています。
内容は、始まりのマントラを唱えるところからスタートします。
その後、参加者で『パタンジャリ・ヨーガの実践』を意見交換しながら読み進めています。
参加者で順番に読んでいくので事前にご用意ください。
☆日本ヴェーダーンタ協会
☆楽天ブックス で購入可能です。
進行役も順番で行っていきます。
本の小見出しで区切り、順番に読み進めていきます。
ひとりが終えたところで、感想を話し合います。そして最後も終わりのマントラを唱えて終わります。
6月からアシュターンガ・ヨーガの実践の5番目、プラティヤーハーラ(プラティアーハーラ)に入っています。
プラティヤーハーラ(プラティアーハーラ)は制感という意味です。
感覚器官を断ち切らないと、ラージャ・ヨーガの瞑想は達成できません。
完璧な実践は難しそうですが、ここから瞑想的になっていきます。
6月の復習
6月はプラーナーヤーマのチャクラから読みすすめました。
チャクラの概要については【サット・サンガ】5月の振り返りを読んでいただくとわかると思います。
以下、それぞれのチャクラについて、『パタンジャリ・ヨーガの実践』からご紹介します。
(1)ムーラーダーラ・チャクラ
・ムーラは「源」の意味
・場所は脊柱の一番下の、肛門と生殖器の間
・排泄器官と関係している
・ムーラーダーラ・チャクラに集中するときは蓮の花をイメージ
(2)スワーディシュターナ(スヴァーディシュターナ)・チャクラ
・場所は生殖器
・生殖器と関係している
・花の色は、インドで結婚した婦人がその証として額につけている色(赤とピンクを混ぜたような色)に近い
(3)マニプラ(マニプーラ)・チャクラ
・場所はへそ
・食事の消化吸収と関係している
(4)アナーハタ・チャクラ
・場所はハート
・霊的な人と世俗的な人の境目
・ここからヨーギーのヨーガが本当に始まる
・心がアナーハタまで上がると「自分の魂(個人的なアートマン)が見える」といい、それをヨーギーはロウソクの炎のようなヴィジョンで見る
(5)ヴィシュッダ(ヴィシュダ)・チャクラ
・神以外のものに対する興味を失う
(6)アッギャー(アージニャ)・チャクラ
・場所は眉間
・個人的なアートマンを神のヴィジョンで見るが、神と一体にはなっていない
・ほんの少し私意識がある
(7)サハスラーラ・チャクラ
・クンダリニーがここまで上がると全ての欲望、無知がなくなり解脱します
以上が『パタンジャリ・ヨーガの実践』に書かれている、ひとつひとつのチャクラについてのまとめです。
また、『パタンジャリ・ヨーガの実践』には、他にも一般的な人の心とチャクラの関係についても書かれていました。
一般的な人の心は、ムーラーダーラ、スワーディシュターナ(スヴァーディシュターナ)マニプラ(マニプーラ)という3つのチャクラの範囲内で働いて、それぞれに関係しているのが、排泄器官、生殖器官、へその部分なので、私たち一般的な人の心は、排便、生殖、食事の消化吸収という、動物的な仕事と関係していると書かれています。
これは、成瀬貴良先生も「下のチャクラほど動物的で、上に上がるにつれて精神的なものになっていく。」と、同じように仰っていました。
そして、心がアナーハタ・チャクラまで上がってきても再び下に落ちる可能性があり、ヨーギーにとって、クンダリニーが上のチャクラから下のチャクラに下降することは堕落とされているようです。
こんなふうに世俗的な状態に戻ってしまうのは、前世から引き継いだ世俗的なサムスカーラが原因のようです。
なので、細心の注意を払いなさいと書かれていました。
また、ヴィシュッダ(ヴィシュダ)・チャクラまで上がってきてもまだ下がる可能性は残っているようですが、アッギャー(アージニャ)・チャクラに到達すると下降することはないそうです。
最後に、サハスラーラ・チャクラに到達するとラージャ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ギャーナ・ヨーガでは、それぞれ表現は違っていますが、どのヨーガの道も結果は、サッチダーナンダとなるそうです。
ラージャ・ヨーガは「シャクティとシヴァがひとつになる」と言い、バクティ・ヨーガでは「バクタ(信者)と神が一つになる」と言い、ギャーナ・ヨーガでは「アートマンとブラフマンが一つになる」と言います・・・。
『パタンジャリ・ヨーガの実践』スワーミー・メーダサーナンダ
ラージャ・ヨーガは「シャクティとシヴァが一つになる」という表現はハタ・ヨーガの表現と同じですね。
ここではサマーディと解脱を同義語として使っていますが、成瀬先生は「サマーディは解脱の一つで、ラージャ・ヨーガでのゴールを指す」と仰っていました。
また、ラージャ・ヨーガのサマーディについて
サマーディ (三昧、等持、正定)
ディヤーナの状態ではまだ残っていた自我意識も、この境地が深まっていくに従って次第に弱くなっていき、やがては消滅してしまいます。そして、対象だけが心を占め、「自分」と「対象」との区別がなくなった状態になり、集中しているという意識さえもなくなり、心は対象でいっぱいになります。
〈中略〉
サマーディの境地に入ると、主観的な感情や先入観によって歪められないために、物事をありのままに見ることができ、心に特別な印象を残します。わたくしたちが普段送っている日常生活では味わえない心境でもあります。
『いまに生きるインドの叡智』成瀬貴良
と、『いまに生きるインドの叡智』に書かれています。
さらにサッチダーナンダの意味は、
【サット・チット・アーナンダ】
サットは「実在」、チットは「心」、アーナンダは「歓喜」。ヴェーダンタにおける最高原理ブラフマンを表現したものの一つで、しばしばこのサット・チット・アーナンダ(サッチダーナンダ)の三つの言葉で表される。
『ヨーガ事典』成瀬貴良
です。
続いてプラーナーヤーマの結果について書かれていて、プラーナーヤーマを行った結果、得られるものは二つありました。
(1)無知がうすれ、霊的な知識があらわれる
『ヨーガ・スートラ』第2章52節からの引用です。
「その結果、内なる光を覆っていたヴェールが取り除かれる」
『パタンジャリ・ヨーガの実践』スワーミー・メーダサーナンダ
プラーナーヤーマの実践で徐々に無知のヴェールは薄くなり、知識の光があらわれてきます。
(2)カルマの鎖を断ち切る
プラーナーヤーマの実践で解脱の障害になっているカルマ(行い、考え)の鎖をきり、輪廻転生(生まれかわり続けること)を止めることができるのだそうです。
カルマには良いカルマも悪いカルマもあります。
エゴをなくして、無私の行為カルマ・ヨーガを行うことで輪廻の束縛から解放されると聞いたことがありますが、プラーナーヤーマによっても完全な自由(解脱)ができると書かれていて、その理由がこの後に続きます。
次はプラーナーヤーマが無知を取り除くです。
これは結果のところでも書かれていました。
そして、前回、プラーナーヤーマを行いながら、マントラを心の中で唱えることをお薦めされていましたが、このやり方で、真理、神、ブラフマンについて考えながら、長時間、長期間行うと、「私意識」という「私は体である、私は心である、私は記憶である・・・」といった知識(無知)が徐々に薄れていくと書かれています。
そして無知が取り除かれると
霊的な知識(それを「絶対の知識」と言います)が自ずとあらわれます。この知識は自分の内からあらわれてくるので、つねに自分の内にあった(ある)のですが、無知のヴェールで覆われていたのでわからなかったのです。しかし、ヴェールがなくなれば、それはおのずとあらわれ出ます。
『パタンジャリ・ヨーガの実践』スワーミー・メーダサーナンダ
「私意識」というエゴが、マントラを唱えながら真理、神、ブラフマンを想いプラーナーヤーマすることでなくなり、解脱ができるということですね。
プラーナーヤーマの段階で解脱してしまうようですが、この本の中では、プラーナーヤーマの実践の結果、心は次の段階のプラティヤーハーラ、そしてダーラナーに適したものになると書かれているので、まだまだ続きます。
次に第6章プラティヤーハーラ(プラティアーハーラ)に入りました。
アシュターンガ・ヨーガの5番目です。
プラティヤーハーラ(プラティアーハーラ)からは心のレベルだけになり、さらに深い実践になります。
最初は、プラティヤーハーラ(プラティアーハーラ)の意味からです。
パタンジャリ・ヨーガでは、プラティヤーハーラ(感覚の制御)によって、感覚に引っぱられる心を引きもどし、静かになった心で瞑想に向かいます。
『パタンジャリ・ヨーガの実践』スワーミー・メーダサーナンダ
ということです。
プラティヤーハーラ(プラティアーハーラ)の言葉を分解して説明がありましたが、ちょっとわかりにくく、上記の感覚の制御がわかりやすいと思います。
次に、アーハーラについてです。
ここではヴェーダンタ学派の二人の哲学者の意見が紹介されています。
(1)ラーマーヌジャの注釈
ラーマーヌジャ(1019年〜1137年)は120歳まで生きられた方のようです。
シャンカラの不二一元論と異なる「制限不二論」を説いたそうです。
またここでも食事をとりあげています。
ラーマーヌジャは「霊的になりたいのなら、食べたり飲んだりすることに十分気をつける必要がある」と言っています。毎日の食事は日常生活の基礎です。好きなものを好きなだけ食べたり飲んだりする生活は、霊的実践を難しくします。求道者にとって、食事はきびしくコントロールされなければなりません。
『パタンジャリ・ヨーガの実践』スワーミー・メーダサーナンダ
ハタ・ヨーガでもそうでした。
『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』にも食事については沢山書かれています。
(2)シャンカラーチャーリヤの注釈
シャンカラーチャーリヤ(700〜750)は不二一元論を説きました。
シャンカラーチャーリヤの考えはさらに深く、「粗大な物質である食べものや飲み物だけに気をつけていても霊的にはなれない。認識の感覚の食べものや飲み物もアーハーラである。霊的になるにはそれらに注意しなければならない」というものです。
『パタンジャリ・ヨーガの実践』スワーミー・メーダサーナンダ
全ての感覚には対象があって、それらは感覚から入って、っころで認識しているのが、感覚の対象は感覚にとってのアーハーラ(食事)になるそうです。
なので、注意して体に悪いものや消化の良くないものを避けるように、霊的な生活に良い物だけを識別してとるようにと書かれています。
体のレベルより、感覚のレベルの食事が大事なようです。
ここで、シャンティーマントラ の解釈から「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿を例に解説がありました。
kimura2によるPixabayからの画像
この本の中では両方をふさがず、片方だけを塞いで、片方では「よいものだけを見る、よいものだけを聞く、よいことだけを言う」というのが完璧だと書かれていました。
知らなかったのですが、3匹の猿は求道者のシンボルで、プラティヤーハーラ(プラティアーハーラ)ではこの態度が必要とされるそうです。
難しそうですね。
続いてプラティヤーハーラ(プラティアーハーラ)の実態に入りました。
私たちは普段、無意識で感覚を感覚の対象に向けているので、それを意識して引き戻すのは大変だと書かれていました。
こう言ってもらうと少しホッとできます。
しかし、簡単なことでなくても、それを続けなければ、次の段階に進めないと・・・また心を奮い立たせてくれます。
『ヨーガ・スートラ』に書かれているように、アヴィヤーサ(修習)繰り返しの練習は大切ですね。
そしてまたここでプラティヤーハーラ(プラティアーハーラ)の定義が書かれています。
プラティヤーハーラとは、心をコントロールして、それが感覚器官とつながることを許さないことです。
『パタンジャリ・ヨーガの実践』スワーミー・メーダサーナンダ
完璧なプラティヤーハーラ(プラティアーハーラ)への道のりは長そうですが・・・
次回は【感覚を感覚の対象から引き戻す方法】です。
なんだかわくわくしますね。
2023年7月のサット・サンガの日程
サット・サンガは基本第4土曜日開催です。
7月は第4土曜日の22日が開催日です。(*8月は26日です。)
17時にスタートし、18時30分までの90分間行います。
Zoomで行うので準備をお願いします。(*わからない時は聞いてくださいね)
ご予約と締切について
ご予約はLINEでもできるようになりました。
メールやお電話、予約サイトで受付ていますので、お好きな方法をお選びくださいね。
メール:ylsbija@gmail.com お電話:09079122282(加藤)
お申込みいただいた方にZoomの案内をしますので、21日までにご案内が届かない方は、お手数ですが上記より連絡ください。
締切は7月21日(金)19時までになります。
直前まではっきりしないという場合はその旨お知らせくださいね。
お申し込みお待ちしています。
最後に
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