心に光を灯す【サット・サンガ】スヴァーミー・シヴァーナンダの教えから得た2025年11月の学びと次回のご案内


先日の満月は綺麗でしたね。

満月の先日に見たお月様の写真です。

満月になっていなくても、明るくてとても綺麗でした。

17時頃のお月様ですが、日が暮れるのが早いし、伊豆の里山は街灯も少ないので、星もお月様も、はっきりくっきりと見ることができます。

サット・サンガはオンライン開催ですが、姫之湯教室で参加したいとお考えでしたらぜひご参加いただき、星やお月様も一緒に楽しんでくださいね。

★ サット・サンガについて知りたい方はこちら ( 【なぜ?シヴァーナンダさんの本なのか?】についても書いています。)

2025年12月以降 開催のご案内

この読書会に興味を持たれた方は、ぜひお気軽にご参加ください。

日時: 2025年12月13日(土)17時~18時30分 *第2土曜日ですご注意ください

場所: オンライン(Zoom使用)または姫之湯教室

読む書籍: スヴァーミー・シヴァーナンダ著『ヨーガとこころの科学』

参加費: 無料

持ち物: 『ヨーガとこころの科学』・筆記用具

参加方法: 事前予約制。

ご予約は、24時間前までにお申込みください。

LINE や下記記載のメールやお電話、予約サイトからお申込みいただけます。

キャンセルの時もご連絡お願いします。

●LINE

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●メール:ylsbija@gmail.com

●電話:090-7912-2282

今後のスケジュール(基本第4土曜日開催/12月のみ第2土曜日開催です)

▶︎ 1月24日/2月28日/3月28日/4月25日/5月23日 /6月27日 

2025年11月参加メンバー各自の学びのまとめ

11月は【記憶を呼び起こすプロセス】から読み始めました。

◉なおみ

【記憶を呼び起こすプロセス】

ここでも

「心は一度に一つの考えだけを心の仕事場に受け入れる。」

とありました。

以前のところにもそう記されており、私たちは普段の生活の中で同時に処理・把握しているようでも、瞬時に対象から対象へ意識を移しているのだとありました。

時々、聞きながら家事などの作業をすることもありますが、そうすると「あれ?これってやったっけ?」と分からなくなったり、向けているその意識が薄れていることもあったりして、やはりあまりよろしくないな…、と習慣を見直しているところだったので、また改めてそこに気をつけたいと思いました。

また、記録についての心の役割について述べられているとき、シヴァーナンダさんは、神を思い震え、

「神と共にありたい」とあなたは思わないのだろうか

と書かれていました。

私たちは、記憶の話から急に「神」に飛んで驚きを感じていましたが、シヴァーナンダさんにとっては、そばに常に神を感じているからこそのことなのだろうと話しました。

常に心の中にある「神」を感じられるよう、まずは“思う”ことから意識してみたいと思います。

【記憶を保存する力】

それぞれが覚えている昔の記憶について話題になりました。

私は、何気ない情景を覚えていたり、映像として残っていたりしますが、そこにはやはり心で何かを感じ、何らかの“印象”や引っ掛かりが残っていることなのだろうと思います。

また、「匂い」が記憶に残る、という方もいて、確かにある匂いを嗅ぐと、一気に記憶が呼び起こされる感覚も分かりました。

また、本には、

30歳を過ぎて心は落ち着き、判断力も出てくる

とありました。

一方で45歳を過ぎると物事の把握力が低下し始めるそうです…。

今がちょうど物事をしっかり把握しながら、落ち着いた心で判断するには最適な時期なのかなと思い、いろいろとしっかり捉え見極めていきたいなと思いました。

第14章から印象(サムスカーラ)についてに入りました。

サムスカーラについてはまだあまり触れたことがなく、文字から想像する”印象”とは全く異なるものでした。

以前の資料も参考にしたり、読み進めながら学びを深めていきたいと思います。

次回も楽しみです。

ありがとうございました😊

◉みきこ

【記憶を呼び起こすプロセス】

学んだ事:

 心は一度に一つの考えだけを心の仕事場に受け入れる。記憶が働くことにより、正しい事柄を適切な時期に、他のすべてを制して顕在意識に持ってくることができる。

 記憶の一時的脱落が起こると思い起こせない。記憶の働きをする潜在意識は、分析・仕分けをし、窓口を通じて顕在意識に持ってくるため、努力が必要。脳の中の渋滞をなくし、心を落ち着ける。

感じたこと:

記憶の働きをする潜在意識というフレーズが印象深かった。記憶が整うことは潜在意識が整うことなんだとわかり、瞑想で自分の中心軸を整え不要なものは捨てて行くことが、記憶を鋭く明確に保つ秘訣だと感じた。

【記憶を保存する力】

学んだこと:

 ①精神的に気を使いすぎる人、節制を守らない人、気苦労で自分を痛めつける人などは記憶力が低下する。

 ②印象が深く沈むと、心は連想によって思い出そうと努める。

 ③年齢を重ねると記憶を保存する力が弱まる。

  子供時代:記憶の維持力は著しいが理解力に欠ける。

  16〜20歳頃:記憶の保存力が盛んなのに加え、理解力の増加。心が落ち着かず、判断力に欠ける。

  30歳過ぎ:心が落ち着く。

  45歳過ぎ:物事の把握力が低下し始め、記憶力も下り坂。

 ④節制することは、記憶保存能力や想念の力を大いに助ける

  

感じたこと:

 ①私、こうなりがちだな、、、と思った。食事の時にすら他のことを考え、自分のことと子供のことでいっぱいいっぱいになっている。自分に集中する時間が欲しいという思いがわくことがあるが、それは私にとって大切な時間になるのだと思った。日々のルーティーンや思考の癖を見直したい。

 ②数珠が実っているのを見つけて、子供の頃にお手玉をしたことを思い出した。

 ③年齢別のところは、自分がどうだったかと重ねて考えることができた。その通りだと思った。

 ④節制することは潜在意識へのアクセスを太くすることにつながっているのだと思った。年齢は変えられないが、今心がけていくことでことで鍛えられると思った。

【心の波は印象となる】

学んだこと:

 心で感じたことは心の波となり、潜在意識に沈み込む。心の波は印象となる。

感じたこと:

 心で感じたことが、印象としてすべて潜在意識に入っているということに驚いた。

【記憶とは印象が蘇ること】

学んだこと:

 印象は、潜在意識に深くとどまっている。潜在意識は小脳にある。過去は細部にわたって保存されている。回想によって意識の表面に浮き上がり、これを記憶という。

感じたこと:

 過去が細部にわたって保存されているとしたら、ものすごい情報量。これを小脳にしまっておける人間の心身の構造に感動した。この情報をきちんと整理しておけるかしておけないかで人生が変わるように感じた。瞑想で日々ゴミを残さず過ごしたい。

【印象の作られ方】

学んだこと:

 特定の経験についての記憶は、それに応じた特定の印象からのみ戻る。理由は特定の印象は特定の経験から作られるから。

感じたこと:

 私は景色にデジャヴを感じることがある。景色に加えて香りからも。心の波は五感や第六感をフルに使って生じていくのだなと思った。

◉かとう

【記憶を呼び起こすプロセス】

何かを思い出そうとする時には、努力が必要である。潜在意識層の中から、雑多で無関係な事柄をかき分けて、正しい記憶を呼び起こさなければならない。

さらっと読んでいたが、これは、私というアハンカーラが「思い出したい!」と発動し、チッタの中からマナスが探し回り、ブッティが判断し、かき分けて、そして最後にエゴが正しいと判断するプロセスが書かれていました。

私は少しアハンカーラを悪者に考えているのだけど(二元論は最終的にアハンカーラをなくし、ブッディもなくしていくから)ヴェーダーンタでは違うんだな…と気付かされました。

真理は何と強力なのだろう。神を思うと私は震える。私の持つペンも震える。「神と共にありたい」とあなたは思わないのだろうか。神との交流は何という大きな祝福と歓びだろう。

この部分は、ラーマクリシュナの伝記にも同じように書かれていたので、おおいなるものとひとつになっている人から見ると、私たちがしている行為に対して、深い同情心から仰っているように感じます。

なかなかこのレベルまで到達できません。

また、最初の部分を読みながら、「最近はもの忘れも多く、なかなか思い出せないけどなぁ」と読みながら感じていた答えも書かれていました。

これは記憶の一時的脱落である。ある種の記憶の印象は深く沈んでいる。印象の貯蔵庫であり、記憶の働きをする潜在意識は、分析し、仕分けし、窓口を通じて意識下に持って来るために、いくらか努力しなければならない。この働きの後で、古い記憶の印象が蘇り、少し前に思い出そうとしていた名前や人が、心の中に閃き出てくる。脳の中に何らかの渋帯があったに違いない。それで記憶が蘇るのを妨げたのであろう。

私の脳の渋滞を緩和できたらいいのになと思いました。

さらにそのことについてこの後に書かれています。

【記憶を保存するカ】

精神的に気を使い過ぎる人、節制を守らない人、気苦労で自分を痛めつける人などは記憶力が低下する。年をとって記憶力が衰えた徴候は、人の名前を思い出すのが困難になることである。この理由はすぐに納得がいく。すべての名前は勝手につけられている。名前はラベルのようなものであり、名前と人の間には何の関係もない。印象が深く沈むと、心は連想によって思い出そうと努めるものだ。

記憶力が低下する理由が書かれています。

人の名前を覚える時、私は何かと結びつけて覚えるようにしたり、漢字を聞いて映像で焼き付けたりして連想ゲームをしている感じで覚えています。なのでシヴァーナンダさんが仰っていることはよくわかります。

子供時代の記憶の維持力は著しい。だが理解力に欠ける。16・18・20歳ころに理解力が増加し始める。このころは記憶の保存力も盛んになる。30歳をすぎると、心は落ち着いて来る。30歳以前はまだ落ち着きのなさが目立ち、判断力にもける。45歳をすぎると、物事の把握力が低下し始める。記憶力も下り坂となる。すでに学んだものだけ憶えている。新しい科学などは学べない。節制することは、記憶保存能力や想念の力の発達を大いに助ける。

ここでは年齢に分けてわかりやすく書かれています。

45歳を過ぎている私は、ここに書かれている通り新しいサンスクリット語がなかなか入ってきません。

でも理由がわかったので覚える努力をしていきたい。

そして、最初と最後に「節制」という言葉が出てきているのも面白い。

最初のところでは「精神的に気を使い過ぎる人」「気苦労で自分を痛めつける人」と一緒に節制という言葉が並んでいます。

「精神的に気を使い過ぎる人」「気苦労で自分を痛めつける人」は二つとも心を疲弊させる人とも読み取れます。

そこに「節制出来ない人」が並ぶので意味が深いと感じます。

そして後半は、節制すると「記憶保存能力」と「想念の力の発達」と書かれています。

想念=心に浮かぶすべての思考、イメージ、感情、そして意図を包含する精神的な活動全体

まだ、今の状態では言葉だけが並んでいて、シヴァーナンダさんの意図することを掴みきれていないもどかしさがありますが、「節制」というと「ブラフマチャリア」とも関連があるように感じるので、今後読み進めていくことで謎が解けていければいいと思います。

わからないことをわからないまま熟考をする練習にもなりそうです。

第十四章 印象(サムスカーラ)

【心の波は印象となる】

心の海に心の波が生じる。起こった波は普段の意識にまず沈む。しばらくたって、意識の表面から潜在意識の深みに沈み込む。心の波は印象となり、通常の意識の限界を超え、潜在意識として隠れた姿となる。こうして、記憶の印象がつくられる。

印象はサムスカーラのことを指します。

そこで、この本の前に読書会で使っていた『パタンジャリ・ヨーガの実践】の時に、『ヨーガ事典』からの引用をシェアして、復習しました。

【サンスカーラ】

行。潜在意識。残存印象。形成されたもの。業(カルマ)や輪廻(サンサーラ)思想と深い関係があり、インドの宗教・思想・哲学の根幹にある概念。サーンキヤ哲学では、人は無始の過去からの無数の転生の間に積み重ねられた残存印象が心(チッタ)の中に潜在的なものとして眠っているが、これが機会を得ると、さまざまな形で現れるという。サーンキヤではサンスカーラには大きく分けて、ヴァーサナ、カルマ・アーシャヤ、クレーシャの三つの形があるという。

そのサムスカーラの三つの形

●ヴァーサナー(心の残存印象)

過去の多くの転生の間に経験したさまざまなことの印象が心の中に残存していることで、機会があると心の中に生じた記憶と新しい経験の印象の複合した印象がまた心の中に残り、それらが網の目のように複雑に織り込まれていく。同じ事物を前にして、人それぞれ受け止める印象が異なるのは、人それぞれが持っているヴァーサナーの違いがあるから。

●カルマ・アーシャヤ

人間のさまざまな行為には、善悪の意味を持った性質のものが含まれるが、その行為が心の中に残すこと。それが機会を得て業報(ヴィパーカ)としてその人の境涯(幸福な家庭に生まれたり、貧しい家庭に生まれたりなどの境遇)、寿命(生まれてから死ぬまでの年数がすでに決められている)、苦楽の経験(生きている間に経験する幸福なことや不幸なこと)として現れる。ヴァーサナーが心理的なものとして現れるのに対してカルマ・アーシャヤは目に見える外界的なものとして現れる。現在の自分の境遇や才能や気質は自分の為してきた前世の行為の結果である。また、ヴァーサナーが無数の過去からの転生の積み重ねであり、ずっと先の転生にまで影響を与えるのに対し、カルマ・アーシャヤのほとんどは生まれ変わった現生の間だけで消費してしまうので、いつも一つ前の過去世だけの業遺存が現れるだけである。しかし、現生の間に業報として現れたり、先の転生に持ち越したりすることもある。

●クレーシャ(煩悩)

人が善悪の行為を為すときに、その動機の要素として現れるもので、カルマ・アーシャヤ(業遺存)の根本的な原因となる。つまり煩悩が輪廻の根本原因になるので、除去しなくてはならないものである。

と、これだけ複雑なことが起こっています。

なので、印象はサムスカーラまたはサンスカーラと読んだ方が理解が早いように感じました。

【記憶とは印象(サムスカーラ)が蘇ること】

”印象は、潜在意識に深く留まっている。潜在意識は無意識としても知られており、心、潜在意識、無意識、チッタ(心素)は同じことを意味している。この潜在意識は小脳にあり、印象を貯蔵庫から呼び起こすことができる。過去はすべて細部にわたって保存されている。過去の心の波が、回想により、意識の表面に浮き上がると、記憶と呼ばれる。印象の助けなしには記憶は不可能である。”

サムスカーラは潜在意識に深く留まっている。

潜在意識は無意識だから、私達は、なんだかわからないけど、この場所に懐かしさを感じるとか、前にみたことがある光景とか感じるのかな?

だから記憶はサムスカーラとセットになっているのかな?

【印象のつくられ方】  

現在の経験と潜在意識層での印象の形成にはギャップがない。ある種の経験からは、それに応じた印象がつくられる。

潜在意識下で起こっているので、印象(サムスカーラ)を作っている実感がない。

だから特定の経験についての記憶は、それに応じた特定の印象からのみ戻る。理由は、特定の印象は特定の経験からつくられるからである。

印象は全てが残っているのに、特定なものにだけ戻るのは不思議だった。

特にこの本ではオレンジの例えになっているからわかりにくかったけど、ヨーガの修行に例えるとわかってくる。

ヨーガでは繰り返しの練習(アヴィヤーサ)がお薦めされている。

全ての印象は残るけど、私達はヨーガの練習を何回も繰り返して行うことで、他の印象より鮮明になってくる。

また、ヨーガの勉強を始めた頃、興味が沸き過ぎて、あっちこっちこれも学びたい!あれも学びたい!という気持ちだったけれでも、同期に「ヨーガの勉強は同じものを何度も学ぶことに意味があるんだよ!」と言われたのを思い出す。

私達は一度で全てを理解することはできないし、ヨーガを始めた頃の自分と、20年たった今の自分では、同じものを学んでも響く場所が違ってくるのは容易に推測できます。

なので印象を鮮明にするにはこの繰り返し学ぶ方法(アヴィヤーサ)が結局は一番適切で早道のように感じる。

そして、シヴァーナンダさんは「BE GOOD  DO GOOD」と仰っていたように、善いことをすることで私たちの潜在意識を変えていくんじゃないかと思う。

繰り返し悪いことをすれば、それが残り、繰り返し良いことをすれば、それが残っていくように。

私は先月のまとめの中でも【潜在意識は閃き出る】のところで、結果への期待を手放すために「BE GOOD  DO GOOD」だと書いていました。

シヴァーナンダさんの金言は万能薬のように何にでも効果を発揮するんだと感じました。

次回は【思考と印象のサイクル】のサイクルからです。

最後に

今回も長文にお付き合いくださりありがとうございます。

参加者の間で共有している今月の学びを何回かに分けて短い内容で配信しようと思っています。

興味がありましたら下記のLINEまで配信希望と教えてくださいね。

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Yoga Bijaの公式LINEですが、個別のやり取りができるようになっています。

(*一斉配信数が決まっているため、このシェアは個別でやり取りします。)

また、『ヨーガとこころの科学』だけではなく、シヴァーナンダさんの解説で『バガヴァッド・ギーター』学習会も行っています。

1月は19日16:30〜18:00開催です。

ご都合がつかない方でご希望があれば私の空いている時間で開催しますので、これも上記LINEからご連絡ください。

LINEよりメールや電話がいい方は

●メール:ylsbija@gmail.com

●電話:090-7912-2282 加藤まで

『バガヴァッド・ギーター』学習会はシヴァーナンダさんのとても厚い本と、成瀬先生の学習会で使った資料の合わせ技で解説していきます。

興味があれば始めましょう!

あと、先ほども書きましたが、繰り返し学ぶことが大切です。

以前、成瀬先生が「学習会参加を第一に考えていれば継続できる」というような内容で仰っていたのをおりに触れ思い出します。

なかなか続かないという方はご相談くださいね。

Yoga Bija

加藤

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