【サット・サンガ】2024年9月の学び
サット・サンガは毎月基本第4土曜日開催です。
参加者で『ヨーガとこころの科学』を読みながらシェアしています。
先月から自分なりの学びの振り返りをまとめてみようと!ということになりました。
ぜひ一緒に本を読んでいる気持ちで参考になれば嬉しいですし、仲間も随時募集しています。
興味がある方は本を用意してご参加くださいね。
『ヨーガとこころの科学』今月の学び
◉なおみ
まず、この本を読んで初めに心に響いたところは、序文の
「本当の幸せは外からは来ない。おのおのの心の内にすでに存在している。心の内にあるものは、内なる心でしか発見できない。」
というところでした。すでに存在している、ということが心強く感じました。
そして第一章を読み進め、”心は本当に移り変わりやすく、感情の束、習慣の束であり、常に揺れ動く不安定なもの”
ということを改めて感じました。
心がブラフマンと人間を隔てているけど、その心でしか発見することはできない。
そして心は経験から進化するもの。
与えられた経験を見落とさず、心を磨き進化していけるようにしたいと思いました。
◉みさき
「至高の神は支配者であり、すべての心の働きを知る存在であり、激励者でもある。神は修行者をいろいろの方法で手助けする。例えば夢の中で内なる声として、また第三者の口を借りて日々の会話の中で、あるいは、友人からのアドバイスという形などで助けの手を差しのべている。」
(第一章、17p)
今月学んだ中で、私が一番心に残った一節です。
自分が気付かぬ内に、何度も手を差し伸べてもらえていたのではないか。
あれかも、これかも、と思い返してみてしまいました。
常に見守られているような気がします。
第一章、「心とは何か」から始まり、毎月いろんな「心」「こころ」「ハート」に触れて学べる他にない勉強会だと思います。
第二章も、シヴァーナンダさんの言葉で語られる「心」についてじっくり学んでいければと思います。
◉みずき
心の主はあなた自身だ
シバナンダさんからの言葉に勇気をもらい毎回の学びを難しいとは考えず、知性への導きだとすり込みながら行っています。
『四層になっている心』がわからな過ぎてひっかかりました…
意.思考(マナス)
知性(ブッディ)
心素(チッタ)
自我意識(アハンカーラ)
ヴェーダンタを改めて学びわたしの心のどの層に響いたのか働きかけたのかを探究していく事で道がひらけるのではないかと予感しております。
学びは楽しい♪
◉みきこ
p18の“心の存在を証明する”のところが心に響いています。
特に
p19の3行目
内的器官としての心があり、その心が注目するかしないかによって、知覚がされるかされないかが決まる。
8行目
心という内的器官が存在し、その注意を引くか引かないかによって、知覚の有無が左右されるのである。心で見、心で聞いているのだ。
のところです。
読み進めながら、わが子の様子が頭に浮かびました。
心が夢中になるものに奪われてしまうと、周囲からの言葉がけが全く耳に入らなくなってしまうという特徴があり、適応障害と診断されていますが、内的器官としての心の感度が一点集中というだけなのかな?と考えると、勇気づけられました。
◉てるみ
『ヨーガとこころの科学』を最初読んだ時、とっても面白くてみんなに勧めてみたけど、今回は自分勝手な読書と違って、音読もするし、皆んなとじっくり読むことで、難しいことが書いてあることにも気づきました。
ただ、仲間がいると、挫折せずに読むことができ、今月は今までの中でも楽しく、面白く読めました。
私の面白いと感じた部分をシェアしますね♪
⚫︎アートマンは心の源
至高の神は支配者であり、すべての心の働きを知る存在であり、激励者でもある。神は修行者をいろいろな方法で手助けする。例えば夢の中で内なる声として、また第三者の口を借りて日々の会話の中で、あるいは、友人からのアドバイスという形などで助けの手を差しのべている。
前提として、ブラフマンとアートマンは同一です。
ここでいきなり「至高の神」と、出てきてびっくりしますよね?
その前の部分にこの説明があります。
「二つとない存在、宇宙の意識は我々のハートの中に、我々の内なる支配者として、また、物いわぬ目撃者として住んでいる。この存在には、終わりもなければ始めもない。この世の源であり、永遠不滅であり、あらゆるところに、くまなく存在している。常に不変のこの存在は、過去、現在、未来にも存在する。完全に独立し、自ら照り輝くこの存在は、神ともアートマンともブラフマンともプルシャともチャイタニヤともバガヴァーンともプルショーッタマとも呼ばれている。信じても信じなくても、永遠不滅の存在である。」
と、書かれていました。
と、いうことは、「至高の神=ブラフマン=アートマン=・・・」になります。
「あらゆるところに、くまなく存在している」と、書かれています。
私達は気づいてしまいました!
あらゆるところに神様が存在していると考えたら、私達の行動も変わるんじゃないでしょうか?
この本を書いたシヴァーナンダさんは、ペンやショールなど物を大切に扱ったと言われています。(シヴァーナンダさんを近くでみていたスヴァーミー・ヴェーンカテーシャーナンダが書いた本を成瀬貴良先生が翻訳してくれた『シヴァーナンダ・ヨーガ』に書いてあるんです)
2回もブラフマン(何と呼んでもいいと書いてあるのでブラフマンと呼ぶことにします。)は、あらゆるところにいると書かれています。
それを真剣に受け止めたいです。
そして、私と至高の神は同じなんですよね〜。
忘れないようにしたいです。
⚫︎アートマンは心の源
「永遠の至福、至上の平和、不朽の満足、至上の歓喜は神のものだ。この宇宙の神の意識に目覚めること、これこそが人生の最終目標だ。人間として最高の使命であり仕事でもある。このほかの仕事はすべて第二義的なものにすぎない。」
これは、シヴァーナンダ・アーシュラムでヨーガスヴァルーパナンダジーから聞いたお話しを思い出しました。
「この世にあって、手に入れることがとても難しい三つのものがあります。そのは何だと思いますか?」
という質問です。
私は「生まれてくること、生を受けることだと思います。」と答えました。
けど、その部分を更に深く質問され、スヴァミーは「人間として生まれてくることですよ。」と教えてくださいました。
また、あと二つは「悟りを得たいという願望をもつこと、聖者や賢者と交わること。」でした。
「これは、増田喜代美さんの訳された『八段階のヨーガ』に書かれているから詳しいことは読んでみてください。」とのことで、私はラッキーにも増田先生からこの本をいただいたので、これもシェアしますね。
これらは神の恩寵と祝福を通じてしか得ることができないものなのです。これら三つのうちで、人間としての誕生は、まっ先に挙げられなければならない非常に貴重な贈り物なのです。
貴重な神からの贈り物であるとみなされているのです。しかし、たとえ人間としての誕生を授かったとしても、もしあなたが永遠の至福と不死を与えてくれる“悟り”の境地を得たいという切望を抱くことがないならば、この人間としての誕生は全く無駄であったということになるのです。なぜなら、あなたの人生は動物とさしたる違いはないからです。食べること、眠ること、そして肉体的快楽を求めることは、人間と動物に共通したものです。人間と動物とを区別するものは、人間のもつ理想主義であり、単なる物質的なものではなくより崇高な何かを得たいという切なる願いなのです。私たちは、達成されるべきより高次のものがあることを知っていますし、さらに、この肉体的存在の不完全さから自由になりたいという強烈な欲求を持っているのです。
そこで、三番目に聖者や賢者との交わりが来るのです。人間としての誕生と悟りへの切望という最初の二つを手に入れたとしても、我々の人生は、依然として迷妄や実りのない虚しい努力の中で曇らされたままです。というのは、祝福された人以外は、一体何が正しい努力なのかがわからないからです。また、この道における障害を取り除いてくれるという聖者との交わりにしても、一体誰がこの三番目の贈り物を持っているのかを知りません。もし私たちが、自分自身を賢明なる霊性の師の前に委ねてしまえば、彼は道を示してくれることでしょうし、この道において誘惑が我々を悩ます時は、インスピレーションや気や熱意を与えてくれることでしょう。
しかし、これら三つの祝福をすべて与えられた者でも、さらに四つ目のものが必要とされるのです。それは、心が「よし、わかった!」と同意しなければならないのです。コントロールされていない心ほど始末に負えないものはないのです。それは迷・悪・闇の代理人であり、悟りの道に立ちはだかる障害となるのです。故に、心が味方に付いてくれることがどうしても必要なのです。たとえあなたが、神の恩恵、グルの恩恵、さらに聖典の恩寵に恵まれたとしても、心の協力なくして成功はありえないのです。
なかなかに険しい道ではありますが、これが人生の最終目標で最大の使命ならやってみる価値はありそうです。
これから学んでいく心を少しずつ味方にしていきたいです。
⚫︎アートマンは心の源
自己の心とじかに向き合い、分析していくと、決して壊れない存在、それ自体で永遠に純粋で、完全で、不変で、自らを照らすその存在を知ることができる。するとみじめさや、不幸な気持ちは消滅してしまう。
本当にその通りだと思います。
瞑想の練習や、自己観察をアーサナしながら繰り返して行くと、何かはある!と感じます。
そうして、生かされているんだと感じると、どんなことにも意味があると思えてきます。
ヨーガしていても嫌なことはあるけれども、それをポジティブに変換する力が発揮されて、バランスのとれた状態になっていきます。
⚫︎心の存在を証明する
「魂は、感覚器官とアートマンの間の接点だ。しかし、この間をつなぐものが必要だ。そこで内的器官としての心があり、その心が注目するかしないかによって、知覚がされるかされないかが決まる。
仮に、この内的器官としての心の存在を認めないとしたら、永久の知覚、または永久の無知覚のどちらかしか起こらない。前者のケースでは、アートマンと感覚器官、対象物の三者が知覚をつかさどることになる。しかしこの三者の連合がうまく運ばない時には、永遠の無知覚が起きることになってしまう。しかし実際にはそうではない。心という内的器官が存在し、その注意を引くか引かないかによって、知覚の有無が左右されるのである。心で見、心で聞いているのだ。」
この部分を読んで思い出したのが、黒船が来航した時に、黒船が見えなかった人と見えた人がいたという話です。
心が注意を引かなければ、見ていても見れないってことで、自分の家の時計を毎日見ていても、時計の文字盤を正確に覚えていなかったりという話も聞いたことがあります。
心で見て、心で聞いているんですね。
だから瞑想の時に音楽はいらないってことになるし、視線は一点に集中か、目を閉じて行わないと、感覚器官に引っ張られてしまいますね。
長くなりました。
最後までお付き合いくださってありがとうございました。
2024年10月〜12月のスケジュールなど
◉10月28日
◉11月23日
◉12月21日 (*第3土曜日)
・16:45〜Zoomオープン
・17:00〜18:30 サット・サンガ
・Zoomを使って行います。
・無料で行っています。
・『ヨーガとこころの科学』をご用意ください。
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