心に光を灯す【サット・サンガ】スヴァーミー・シヴァーナンダの教えから得た2026年3月の学びと次回のご案内


暖かい4月ですね♪

姫之湯は田植えの準備が始まっています。

そしてつつじが咲き始めました。

月に一度のサット・サンガのお知らせと先月の学びをまとめました。

2026年4月〜10月 開催のご案内

日時: 2026年4月25日(土)17時~18時30分 

場所: オンライン(Zoom使用)または姫之湯教室

読む書籍: スヴァーミー・シヴァーナンダ著『ヨーガとこころの科学』

第15章 思考と想像(サンカルパ) 【想像力の破壊方法】 からです。

参加費: 無料

持ち物: 『ヨーガとこころの科学』(お持ちでない方は初回のみ本の貸出できます)・筆記用具

参加方法: 事前予約制。

ご予約は、24時間前までにお申込みください。

LINE や下記記載のメールやお電話、予約サイトからお申込みいただけます。

キャンセルの時もご連絡お願いします。

●LINE

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●メール:ylsbija@gmail.com

●電話:090-7912-2282

今後のスケジュール(基本第4土曜日開催/12月のみ第2土曜日開催です)

▶︎ 4月25日/5月23日 /6月27日/7月25日/8月22日/9月26日/10月24日

2026年3月参加メンバー各自の学びのまとめ

それでは、前回学んだところを参加者が【今月の学び】としてまとめているので参考にしてみてくださいね。

今月は二人の新しいメンバーが加わりました!

本は、第15章 思考と想像(サンカルパ) 【思考の働き】 から読み進めました。

◉なつみ

心を事物から引き離して神に向かわせるのがとても大変だという心の性質を改めて感じました。ただ、お話し合いの中で、本当にやりたいことなら激しい努力はいらないのでは…というお言葉にもハッとしました。

想像力を静めて、一人静かに瞑想、心を神に向ける、これよりほかの方法はないと書かれているように、鍛錬したいと思います。

◉たえこ

はじめて参加させていただきました。

50歳を越えて、仕事をしながら3年間学校に通い、2月末に大きな試験を終えたばかりで、消耗してしまった気を補充している最中で、徐々に気力を整えて、そのうち顔出し参加させていただきたいと思っています。

しばらくわがままに参加させていただきますが、よろしくお願いします。

心を神に向けるように鍛錬しなければならない。世の中の不幸、苦痛をなくしたいのなら、これより他の方法はないと知るが良い。

は、ものすごくハッとさせられました。かなりの(素晴らしい、良い方の)衝撃でした。それ程にありもしないことを想像するのが私達は得意なんだなと痛感しました。だから、鍛錬あるのみなんだなぁ〜♪

◉みさき

今月から新しい方も加わり、自己紹介の出生地の話で盛り上がり、楽しいスタートとなりました。

第十五章 思考と想像(サンカルパ)

【思考の働き】

思考は心の産物であり、幻影の世界を創造する。

無知な者は動揺しやすく、気まぐれな心を持ち、限りなく想像する。想像のため心は不安に陥る。だが賢い者は想像しない。

ここでの想像は悪いことの想像なのかな、と。

でもそれだけでなく、思い込みも含まれるのかな。

想像しない=何も考えない、とも違くて、現実ではないものに心が巻き込まれないようにする、みたいなことなのかな。

【想像が俗世をつくる】

束縛の原因は想像であり… 想像を破壊すれば自由となる。

想像しちゃいけないってことではなくて、まだ起きてない不安を現実だと思うことは良くない、と言っていると思います。

「あの人、私のこと嫌いかも」

「こうじゃなきゃダメ」

全部“想像”だけど、それを信じた瞬間に苦しくなってしまうから。

【心の性質】

心は放っておくと、楽なことや慣れた欲望に流れやすい。

だからこそ、意識的に心の向きを整えて、執着をゆるめていくことが、苦しみから自由になる鍵になるのかな。

•ついスマホ見ちゃう

•嫌なことを何度も考える

•楽な方に流れる

日常でよくやってしまう。

そんな時は、深呼吸したり私は先月から取り組んでいるジャパをする。

心を鍛練していきたいです。

◉ようこ

初めて目にした『ヨーガとこころの科学』は私にとって難しくて厳しいというのが第一印象でした。

馴染みのないサンスクリット語や、想像力、印象といったコトバにつまずきました。

想像力と言うとイマジネーションと言う良い意味がインプットされていて、なかなか悪い方へのスイッチの切り替えが難しいです。

今の自分はこんな感じです。

今回は内容の感想が書けませんでしたが次回は書けると思います。

皆さんと一緒に学んでいくのが楽しみです😊

どうぞよろしくお願いします。

◉みきこ

【思考の働き】

ブラフマンは無限で完全無欠。それ自身で満ち足りている。ブラフマンの中では全てを得ることができる。我々の中に存在する個我と個我をつなぎ合わせている。

もともとブラフマンの中の一部であった私が、瞑想や修行を経て制限を取り外し、無限の状態に近づいていくことでブラフマンと合一できるのだと思った。

無知な者は動揺しやすく、気まぐれな心を持ち、限りなく想像する。想像のため心は不安に陥る。だが賢い者は想像しない。

想像してしまうのは、無知だからなのかと納得した。未知のものに取り組む時「こうかな?ああかな?」と想像を巡らせることがあることを思い出した。経験上、このような時の心情には不安がある。何事にも精通・鍛錬し続けていくことで想像することを減らすことができるのだと思う。

【想像が俗世をつくる】

想像と疑いを滅して、初めてブラフマンを知る。

疑いは想像することで生じるように思う。想像は真実を遠ざけてしまい、ブラフマンへの道から外れてしまう。想像と疑いを滅することがブラフマンへの道なのだと分かった。

できるだけ完全に想像を根絶しなければならない。しかし想像の破壊は知的に行わなければならない。

想像を根絶するためには、知ること。真実を知ろうと努力しすること(瞑想すること)で、知的に想像の破壊ができる。

【心の性質】

心はすぐに俗世の物を思う。・・・激しい努力と欲望の放棄を通じて、心を神に向けるように鍛錬しなければならない。

快楽があるから、不幸や苦痛を感じる。心静かに瞑想し、快・不快といった俗世的な心の動きをなくしていくことが大事なのだと思った。

◉かとう

第十五章 思考と想像(サンカルパ)

【思考の働き】

ブラフマンは無限で完全無欠、それ自身で満ち足りている。ブラフマンの中ではすべてを得ることができる。この世には生命エネルギーがあり、この生命エネルギーが宇宙と私たちをつないでいる。宇宙の真我は、我々の中に存在する個我と個我をつなぎ合わせている。

ブラフマンの定義とプラーナの関係について書かれています。

ブラフマンは

・無限

・完全無欠

・その中で全てを得ることができる

プラーナが宇宙と私たちを繋いでいると書かれているけれども、この宇宙は天体のことではなく、後の部分を見ると”宇宙の真我”と書かれているから、あらゆる存在全体を指しているように感じます。

私たちの本質であるアートマンと、宇宙的実在であるブラフマンは本来一つであると読み取れます。

我々の中には、神聖な意識の流れを受け入れる弁がある。心の力、思考作用を通じて閉じたり開いたりする。動的でラジャスな人は神から遠く、神から自分を閉ざしている。サットワであれば、神聖な流れに自分を開放できる。

ラジャス=刺激物

サットワ(サットヴァ)=新鮮な野菜やフルーツ

と考えるとわかりやすいと教わりました。

自分の中にも、ラジャスな部分、サットヴァな部分があるように思います。

日本人は海外の方から、元旦に初詣に行く姿からとても宗教的に見えると聞いたことがあります。日本人は神というとアレルギー症状のように拒否するけれど、初詣だけではなく、生まれて30日後からのお宮参りもするし、七五三もするし、成人になったら神社に参拝・・・とあまりにも普通に行なっている。

この本に従えば日本人はサットヴァな人達が多いことになる。

欲望が深く沈む潜在的な印象の層から思考の流れは始まり、目覚めの状態と夢みる状態の中で、対象に向かって絶え間なく流れる。

印象は何回も出てきているサムスカーラ(サンスカーラ)と読むけれど、潜在的意識とも理解することができた。

私たちの意志の多くは潜在意識からなっていて、顕在意識はほんの少しと聞いたことがあるが、欲望が多いのは顕在意識だと思っていたが、潜在意識の中にも欲望はあるんですね。

そして、ヴェーダーンタでよく例えられる、目覚めの状態、夢をみている状態ですが、目覚めている時は、私たちは外の世界を現実だと感じています。

身体があり、人がいて、時間が流れ、出来事が起こると感じます。

また、夢をみている状態は、身体は眠っていても、夢の中で別の世界が広がります。

身体は休んでいるけれども、走ったり、会話したり、怖がったり、喜んだりして、心が動いている状態のことです。

どちらも対象に向かっていますね。

無知な者は動揺しやすく、気まぐれな心を持ち、限りなく想像する。想像のため心は不安に陥る。

だが賢い者は想像しない。

ここで書かれている想像は、イマジネーションとは違い、変えられない過去について思ったり、未来の心配をするような心の状態だから、不安になってしまうと読みとくとただの想像との違いが明確になると思います。

【想像が俗世をつくる】

想像がどれだけ悪いことなのかが書かれている。

前の部分で想像は「変えられない過去について思ったり、未来の心配をするような心の状態」と読みといた。

想像がなければ、ブラフマンの歓びがあるのみだ

と書かれている。

まずは、ブラフマンの歓びについて。

ブラフマンという大いなるものと、もともと一緒だったことに気づいた状態と読み解くと理解が深まりそうです。

また、「よろこび」をあえて「喜び」ではなく「歓び」という漢字を当てているところも引っかかったので調べて見ました。

違い.site では

喜びというのは、一般的な嬉しい出来事があったときに使う言葉です。

嬉しい出来事の内容は特に問われず、普通に何かしらの嬉しい出来事があれば、この喜びという字を使っておけば特に問題はないでしょう。

「歓び」というのは、歓声を上げるほどの出来事があったときに使うことが一般的で、普通に嬉しいときには使うのは適さないでしょう。

これ以上ない嬉しさを感じたときにこそ使うので、人生の中でこの歓びを使うケースというのは何回かということになると言えるでしょうし、使うシーンを特に選ぶ必要がある言葉なので、注意が必要です。

そして、「悦ぶ」もありました。

悦ぶというのは、自分自身に嬉しい出来事があったとき、または他人を喜ばすことをしたときなどに使います。

自分に嬉しい出来事があったときに使えるので、喜びと意味はあまり変わりませんが、たいていは悦ぶではなく、喜ぶを使います。

したがって、こちらの悦びは他人を楽しませたり、喜ばせたときに使う言葉という特徴があり、そこが違いになります。

こんな違いも面白いですね。一人で読んでいたら、普通に読み飛ばしていました。

また、ここで「歓び」という字を使うのはぴったりきていると思います。

続いて、

想像を破壊すれば自由となる。有形無形のこの世界をつくり出すのは、心の想像力にほかならない。

と、書かれています。

念押しされている感じがしました。

マーヤーは毒の木だ。その木に欲望と潜在意識の印象が水をやって育てる。色欲、怒り、食欲がその木の芽であり、サットワ、ラジャス、タマスは蕾だ。行為の結果としてのカルマはそこにできた実だ。感覚器官は枝である。我執が幹で、好き嫌いが二つの大枝である。さまざまな感覚の対象が枝いっぱいの葉である。

シヴァーナンダさんの本は例え話が多いですね。

こんなふうに映像にうまく繋がると、忘れにくいように思います。

用語だけ確認してみますね。

全て成瀬貴良先生の『ヨーガ事典』から

【マーヤー】

幻影。幻。戯れ。ヴェーダーンタ哲学の中の思想の一つで、この世の現象はブラフマンのマーヤーであり、仮の虚もうなものに過ぎないと説くもの(仮現説とも呼ばれる)。アートマンこそブラフマンと同一であり唯一の真実である、この世はマーヤーである、と知ることによって解脱が起こり一切の苦悩がなくなると説く。

【サットヴァ】 sattva

①純質。喜徳。トリ・グナ(サットヴァ、ラジャス、タマス)の中の一つで、「快く、明るく、軽い」という特質。

②サーンキヤ哲学における現象世界は三つのグナから成るプラクリティが転変した結果生じたものであるので、物質においても精神においてもすべてのものが三つのグナで構成されている。中でもサットヴァは純粋なもの、明るいもの、軽快なものというのがその特徴である。心の状態でいえば明るい軽やかな気持ちのときがサットヴァであり、食べ物でいえば野菜や果物がサットヴァ的な食べ物といえる。

【ラジャス】 

①激質。憂徳。トリ・グナ(サットヴァ、ラジャス、タマス)の中の一つで、「活動的、落ち着きがない、不安」という特質。

②サーンキヤ哲学における現象世界は三つのグナから成るプラクリティが転変した

結果生じたものであるので、物質においても精神においてもすべてのものが三つのグナで構成されている。中でもラジャスは活動的、落ち着きがない、不安というのがその特徴である。心の状態でいえば、やみくもに行動的になったり、不安に駆られたり、落ち着きのないときがラジャスであり、食べ物でいえば刺激物や肉類などがラジャス的な食べ物といえる。

【タマス】 

①暗質、暗徳。トリ・グナ(サットヴァ、ラジャス、タマス)の中の一つで、「暗い、重い、鈍重、覆い隠す」などの特質。

②サーンキヤ哲学における現象世界は三つのグナから成るプラクリティが転変した

結果生じたものであるので、物質においても精神においてもすべてのものが三つのグナで構成されている。中でもタマスは暗い、重い、鈍重、覆い隠すというのがその特徴である。心の状態でいえば暗く何もしたくないような気持ちのときがタマスであり、食べ物でいえば加工品などがタマス的な食べ物といえる。

【カルマ】は行為と行為の結果の二つあるので、ここでは行為の結果と書いてありますよね。

【我執】はエゴ。

以上を踏まえ、自分の言葉でもう一度

マーヤーは毒の木だ。その木に欲望と潜在意識の印象が水をやって育てる。色欲、怒り、食欲がその木の芽であり、サットワ、ラジャス、タマスは蕾だ。行為の結果としてのカルマはそこにできた実だ。感覚器官は枝である。我執が幹で、好き嫌いが二つの大枝である。さまざまな感覚の対象が枝いっぱいの葉である。

この部分を自分の言葉で解釈していくと

「幻のようなこの世界は、毒の木にたとえられます。その木は、欲望や心の奥に残った印象によって水を与えられ、育っていきます。色欲、怒り、食欲はその芽です。そして、この世界を形作る三つの性質、サットワ(純粋なもの、明るいもの)、ラジャス(活動的、落ち着きがない)、タマス(暗い、重い)は蕾です。私たちは常に行為をします、その行為の結果であるカルマが実となります。感覚器官は枝です。エゴ、つまり「私」「私のもの」という執着が幹となり、そこから好き嫌いという二つの大枝が伸びます。さらに、目に見えるもの、耳に聞こえるもの、味わうものなど、さまざまな感覚の対象が葉となって枝いっぱいに広がっています。」と解釈してみました。

続いて、シヴァーナンダさんは

宇宙の始まりと終わり、これは意識の働きにしかすぎないのだが、心の想像の始まりと終焉に一致する。

大胆に訳すと、私たちの生きているこの世界も心の想像だと仰っています。

だから

想像と疑いを滅して、初めてブラフマンを知る。できるだけ完全に想像を根絶しなければならない。しかし想像の破壊は知的に行わなければならない。

何度も繰り返されているように、想像をしないことと、その想像することを止める方法も知的に行いなさいと仰っているように感じます。

【想像力の絶滅で自由になる】

ここではとても力強く想像力の破壊がなければ悟りに到達できないと書かれています。

そして、いつものようにその方法として、

想像力の破壊について一人静かに瞑想してみるがよい。

想像力の破壊について瞑想ってどうやって行うのでしょうか?

想像力の破壊は想像をしないことだから、気持ちを今ここに向けて行う、いつもの瞑想と変わらないと思いました。

【心の性質】

心の性質は世俗の物を思うことと書かれています。

そして、それは私たちには苦手で骨の折れる仕事だとも書かれています。

ただ、輪廻転生から解放されたいのなら

心に逆らって、激しい努力と欲望の放棄を通じて、心を神に向けるように鍛錬しなければならない。

また、世の中の不幸、苦痛をなくしたいならそうするしかないとも書かれています。

「神」というワードが出てきてもぜひ拒否せず「ブラフマン」に置き換えてみてください。

ブラフマンとは?今はまだ、霧の向こうにある実体のない言葉のように感じるかもしれません。

しかし、ヨーガの練習や学びを通じて心の波を静めていったとき、それは外側の誰かではなく、自分自身の最も深いところにある「純粋な存在」として姿を現します。

その気づきの瞬間にこそ、すべての不幸や苦痛が消え去ると言われています。

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最後に

私たちの教室では、サット・サンガでの深い学びを日常でも活かせるよう、短いエッセンスに分けて配信も行っています。

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