『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』第4章2節/最高に優れたサマーディとは
ヨーガといえば、ハタ・ヨーガというくらい、代表的なものですが、そのハタ・ヨーガの全てを行っている訳ではなく、アーサナがメインになっています。
ハタ・ヨーガにも瞑想があります。
そのハタ・ヨーガの瞑想について書かれている部分が『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』の第4章にあたるラージャ・ヨーガです。
ぜひ、ヨーガを深めたいと思う方、一緒に学んでみませんか?
9月からスタートした第4章の学習ですが、10月の学習会で10節まで進みました。
たっぷりの解説がついているので、ゆっくりと読んでいます。
この解説がないと、誤解しやすいので、意味をしっかりと理解することが大切ですね。
以下、前々回の9月の学習会からのダイジェストです。
第4章2節 最高に優れたサマーディとは
Ⅳー2 【最高に優れたサマーディとは】
しからば今、わたしは最高に優れたサマーディを説く。これは死に打ち勝つ、幸福の手段であり、最高のブラフマンの喜びを生じる。
『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー 後編』成瀬貴良
成瀬先生はここで「唐突に、ここで、サマーディについて説かれています。」と、仰っていました。
そして、先生の解説でヨーガのゴールでもあるサマーディの定義を、ヨーガの流派別に解説してくださっているのでご紹介します。
●ラージャ・ヨーガ(瞑想のヨーガ)
ウパニシャッドの流れをくむ、最も伝統的なラージャ・ヨーガは、瞑想によって心の働きをなくし、その結果サマーディという深い境地に入ることを目的としています。
●ジニャーナ・ヨーガ(智慧のヨーガ)
智慧によって、この世界の真実の自己を深く考察して、不安や迷いを払拭し、永遠の安らぎを得ることがサマーディと捉えます。
●カルマ・ヨーガ(行為のヨーガ/無私無執着の行為のヨーガ)
行為の結果であるカルマを残さない為の方法として、結果を動機としない、自分の本務をただ遂行します。
その行為には自分という思いを入れてはいけないし、どのような結果であっても、それを平等にみなくてはなりません。
このような行為の完成をサマーディと受け取ります。
●バクティ・ヨーガ(神への信愛のヨーガ)
最高神を信じ、深愛を捧げ、神の恩寵を受けることをサマーディとします。
●ハタ・ヨーガ(タントラの流れをくむ、現代で一般的にいわれる身体操作を行うヨーガ)
クンダリニーの覚醒によってシヴァ(男性原理)とシャクティ(女性原理)の合一を目的とします。
『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』の中ではサマーディは他にもいくつかの定義があります。
これらサマーディは、ハタ・ヨーガでは、ラージャ・ヨーガ、ラヤ、ウンマニー、シューニャなどともよばれます。
成瀬先生はこの本の中で、もっと細かく解説されています。
面白いのは、『ハタ・ラトナーヴァリー』のサマーディの説明が、ブラフマンとアートマンの合一という、ヴェーダーンタ的なものだと書かれていたところです。
ハタ・ヨーガの教典は1冊ではないので、教典によっても扱いが多少違うようです。
そして、ここからサマーディについて六派哲学の中のヨーガ学派の教典『ヨーガ・スートラ』から定義を紹介されています。
この図は、右から左に向けて深まっていく様子を表したものです。
サマーディにも段階があるんです。
覚えるコツは、サンスクリット語より、まず漢字の意味合いから理解すると分かりやすいです。
●有想三昧
まだ、人間の想念や観念がある三昧。
有想三昧の中にも四段階あります。
・尋(じん)
・伺(し)
・楽(らく)
・我想(がそう)
と、覚えます。
上から下に向かって深まっていきます。
最後が我想です。
有我想三昧は、有想三昧の中では一番深い状態ですが、まだ【私】という想いがある状態です。
●無想三昧
心理的な働きを止める想念がなくなり、サンスカーラ(潜在印象)だけがチッタ(心)の奥に眠っている三昧。
表面状に出る心の働きはなくなった状態だけれども、前世や前々世の時の印象は消えていない状態。
かなり、深くなっている状態です。
●有種子三昧
種子(外部的な実在、つまり物や物質などを対象とするもの/必ずしも外界の対象ではなく、なんらかの対象をもっている。心の中の対象も可/輪廻の世界の束縛の原因をまだ自分の中に残している/心の中にサンスカーラ(潜在印象)、つまりは心の働きの種子を残している)を有している三昧。
有種子三昧も4段階あり
・有尋定
・無尋定
・有伺定
・無伺定
【有】と【無】で表現されているので分かりやすいでしょうか?
【有】より【無】が深い状態です。
有尋定、無尋定と有伺定、無伺定の違いは瞑想の対象の違いで分けられています。
有伺定・無伺定は有尋定・無尋定より、微細なものを瞑想の対象にしています。
成瀬先生が例にあげられたのが、有尋定・無尋定は花など形あるもので、有伺定・無伺定は「愛」「平和」「やすらぎ」などを瞑想の対象にします。
●無種子三昧
心の散動が全くない境地。
心の内面から、新しい真智(プラジニャー)が現れる。
サンスカーラ(潜在印象)がなくなる。
また、先生はこの一番深い無種子三昧の状態を、禅の十牛図(禅修行の深まっていく様子を10枚の絵で表現されているもの)と同じように、ヨーガのサマーディは、アシュターンガの実践の8番目ですが、禅と同じように9番目、10番目の状態があり、禅では9番目では修行前に戻って物を見ている境地と十牛図では説かれていて、そして最後の10番目ではあるがままの世界で、あるがままに生きる自在の遊びの境地だと説明されていますが、ヨーガにもそんな状態があるんではないかと仰っています。
10番目を見てわかることは、修行前と、修行の後では、ものは同じでもその境地が異なるということなんだそうです。
さらに、『いまに生きる インドの叡智』の中でも紹介されている、キリスト教の修道女テレサ(マザーテレサではありません)が黙想して深まっていく様子を日記に書いているのですが、黙想が終わってもその境地が続き、キリストと一緒になった生活が送れると記されていることも紹介されています。
最後に『ヨーガ・スートラ』からの紹介で、ダルマ・メーガ・サマーディといって、最終的なサマーディの前に、その人の上に人徳のようなものが表れると書かれているそうです。
『スートラ』には具体的な特徴は書かれていないようですが、成瀬先生はきっと一瞬でわかるような輝きがあり、ヨーガに成功した人は、見た目でわかるのではないか?と書かれていました。
その人の醸し出す雰囲気というのは、必ずあります。
ビージャの生徒さんでも、ヨーガを初めて周りから「何か雰囲気が変わった。何をしているの?」と、聞かれるというようなお話は沢山聞きます。
これが、サマーディの前に現れるダルマ・メーガ・サマーディなのかもしれませんね。
古代のインド人の観察力はよても鋭くて、瞑想によって、心がどんなふうに深まっていくのか、しっかり科学的に理解していたことが分かります。
9月はここまでで10月はサマーディの同義語から学んでいきました。
また、のんびりと10月の講座も振り返っていきますので、少々お待ちくださいね。
そして、興味がある方は、ぜひ一緒に学びましょう。
リクエストいただければ第1章から深めていくこともできます。
あるいは、別の本ですが、サット・サンガでも瞑想について読書会をしています。
9月の振り返りの記事を次回に書く予定です。
サット・サンガ(毎月第4土曜日17時〜*但し、12月は第2土曜日開催)は無料で参加できます。
学習会へのハードルが高い方はぜひこちらにご参加くださいね。
11月の学習会の日程
今年の夏は暑かったので、朝の少し早めの頭が冴えている時間に実施してみたら、集中してできたので、8月から時間が変更になっています。
以下、ご確認くださいね。
日時:2023年11月14日火曜日8時30分〜10時
場所:Yoga Bija 清水町教室
講師:加藤 照美(Yoga Bija主宰)
持ち物:『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー 後編』(貸出も可能)/筆記用具
その他:坐学です。床に坐っても楽な服装でご参加ください。
受講料:3000円
ご予約と締切について
ご予約はLINEでもできるようになりました。
メールやお電話でも受付ていますので、お好きな方法をお選びくださいね。
メール:ylsbija@gmail.com お電話:09079122282(加藤)
ぜひご一緒にヨーガの教典を読みましょう♪
最後に
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猛反省中です。
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加藤