心に光を灯す【サット・サンガ】スヴァーミー・シヴァーナンダの教えから得た2026年6月の学びと次回のご案内


梅雨明けして、本格的に暑いですね。

この暑さを喜んでいるように見える観葉植物。

清水町教室あった観葉植物は姫之湯教室にお引越ししています。

いい場所を見つけると、本当に植物は元気に育ちますね。

Yoga Bijaのサット・サンガもそんな「場」になれたらいいなと思っています。

聖者に直接お会いし、お話を聞くことはできませんが、スヴァーミー・シヴァーナンダさんの残してくださった言葉に触れながら、勉強ではない、読書会を開催しているので、わからないところはわかるメンバーが教えてくれますし、わからないところは読み進めながら理解していこう!というポジティブな雰囲気なので、わからないからと参加を見送っていらっしゃる方はまずご参加くださいね♪

わからないことを、「わからない!」っていえる環境ってよくないですか?

以下に、月に一度のサット・サンガのお知らせと先月の学びをまとめました。

*サット・サンガは初めての方もご参加いただけます
*参加費無料です

2026年7月〜2027年1月 開催のご案内

日時: 2026年7月25日(土)17時~18時30分 

場所: オンライン(Zoom使用)または姫之湯教室

読む書籍: スヴァーミー・シヴァーナンダ著『ヨーガとこころの科学』

第16章 思考が世界をつくる 【想像の中に現実の宇宙はある】からです。 

参加費: 無料

持ち物: 『ヨーガとこころの科学』(お持ちでない方は初回のみ本の貸出できます)・筆記用具

参加方法: 事前予約制。

ご予約は、24時間前までにお申込みください。

LINE や下記記載のメールやお電話、予約サイトからお申込みいただけます。

キャンセルの時もご連絡お願いします。

●LINE

友だち追加

●メール:ylsbija@gmail.com

●電話:090-7912-2282

今後のスケジュール(基本第4土曜日開催/12月のみ第2土曜日開催です)

▶︎ 7月25日/8月22日/9月26日/10月24日/11月28日 /12月12日/2027年1月23日

2026年6月参加メンバー各自の学びのまとめ

2026年6月の学習会は第16章 思考が世界をつくる 【想像の中に現実の宇宙はある】から読み始めました。

◉みさき

今回は【想像の中に現実の宇宙はある】【心は三つの枠の中で働く】の章を読み進めました。

私たちは世界をそのまま見ているようでいて、実際には心を通して経験している。

不安や苦しみも、出来事そのものより心の解釈や想像から生まれるのではないか。

心は必ず時間、空間、因果律の枠の中で働く

時間や距離、原因と結果は当然のものに思えますが、ヨーガ哲学では心の認識による枠組みとして捉えられている。

楽しい時間は短く、苦しい時間は長く感じたり。

これも心が創造しているだけ。

心をブラフマンに集中し、超越すれば、この枠は外されて全く消える。

そこは時間も空間もない、「空」の世界だ。

この空の世界に行きつくように、何事も継続、かと。

◉なおみ

【想像の中に現実の宇宙はある】

ここでも繰り返し、

心の思考のせいで宇宙があるように見える

その思考を放棄しなければならない

と説かれています。

そして、

思考が絶滅すると、みるものと見られるものを区別する考えは消え去り、実在のブラフマンが遮られることなく光り輝く

のだと。

日々、絶え間なく”思考”しており、”現実の宇宙”の中で生きている私たちは、その思考を止めることは本当に大変なことだとは思います。しかし、そういう概念で現実を捉えてみると、また宇宙が違って見えてくるなと思いました。

【心は三つの枠の中で動く】

心は時間、空間、因果律の枠の中で働き、その枠は心が想像したものに過ぎない。

外界には「バイブレーション 振動」だけがある。

そして

心をブラフマンに集中し、超越すればその枠はなくなり、時間も空間もない、「空」の世界である

と。

「空」の世界というものがあまりまだピンときていませんが、やはり瞑想しているときがそれに近い状態で過去も未来もなく、すべてが「今」であり「ここ」である、という前回のところとも繋がったような気もしました。

◉たえこ

やはり、途中から参加、途中から読まさせていただいているので、

P.99

常に動揺している心は

(ここまでは何となくわかる)

考えることで

(ここまでもわかる)

宇宙を創造する

(ここでやっぱり??わからなくなる)

宇宙ってあの宇宙?うーむ??

わからないなりに、やっぱり最初から読んで、流れがわからないと、完全にハテナだ。

スーッとわかるところもあるのだけれど。

なので、今、最初から読んでみているところです〜

◉ようこ

今月は2ページも満たない範囲でしたが難しかった、です。

私がなくなれば

とか

思考が絶滅すると

とか

純粋な識別と修行を通じて心が滅びれば、幸せや不幸、苦痛と快楽も滅びる

と言われても現世に生きている今の私にはうーん・・・となるだけです。

地球という星に生まれ落ちた時から時間、空間、因果律の枠の中にいます。

○月○日に誕生し、必ず父親と母親(男と女)がいて出生する。

この世に生まれたのは歓びや楽しみを味わう為だと思っています。

なので心が滅びればと言うのが想像できません。

言わんとしていることは何となくわかるのですが………

わからない・・・

◉なつみ

今月の内容は自分の生活に活かされる学びでした!と胸を張って言えるほど深い理解には及ばずでした。

心は

時間・空間・因果律の枠の中で働く

は、確かに私が思い込みで作っている枠が多いかもな…と感じる部分もありました。

心の思考を放棄すること

はやはり瞑想の継続なのだと感じました。

ブラフマンに集中するような瞑想も全然分からずですが、三つの枠を消失するようなイメージは一つヒントになったような気がします。

◉みきこ

【想像の中に現実の宇宙はある】

ブラフマンから生まれ、常に動揺している心は、考えることで宇宙を創造する。

というくだりを読み、心が思考するとうことはどういうことだろう?と思った。

 私は、心が動くとその感覚がどこから起きてくるのだろうと考え、自分の中で言語化することを習慣としているが、それが心が思考するということになるのだろうか?

 自分の考え方や生き方が他人のそれとは異なるのは、個々の心がそれぞれの宇宙を作り出し、その中で生きているからなのかな?とも思った。

 個々の思考がなくなれば、個々を区切る境界線もなくなり、宇宙もなくなる。

 残るのは実在のブラフマンのみとなり、その光に溶け込むことができるところまで到達できるのが人間でいう悟りなのだろうか?

【心は三つの枠の中で働く】

心は必ず時間、空間、因果律の中で働く

 興味深いと思った。

 高いと思えば高くなるし、低いと思えば低くなる。

 1キロ走ることを例に挙げて考えてみる。

 1キロが短く感じる人もいれば、長く感じる人もいる。

 心の思考がそれぞれの世界を作り上げ、感じながら生きているのだと思った。

 心をブラフマンに集中し、超越することで枠は外れると書かれているが、難しいなと思ってしまった。

それも私の心が作り出している世界なのだと思うと、瞑想をしよう!!と思わずにはいられない。

◉かとう

【想像の中に現実の宇宙はある】

   言葉で表現できないブラフマンから生まれ、常に動揺している心は、考えることで宇宙を創造する。

「心はブラフマンから生まれた。」と、読み取れる。

あらゆるものはブラフマンとひとつだからそうなるのもわかります。

ブラフマンから生まれたその心は常に動揺していて(動いていて)考えることで宇宙(この世の中、ありとあらゆるもの)を創造している。

考えないではいられないから瞑想が必要になったり、カルマ・ヨーガやバクティ・ヨーガも必要になったり、私達はすぐに間違えてしまうからジニャーナ・ヨーガも大切で、シヴァーナンダさんがおっしゃるようにインテグラル・ヨーガ(統合ヨーガ)の大切さを、こうやって何度も読むことで思い出します。

この宇宙(この世の中、ありとあらゆるもの)もブラフマンなのだから、ブラフマンでないものは何もないって見るのが不二一元論でこの世は二つではないよ一つだよ。と、いうことになります。

私達は狭い思考の中にいる時は、私とそうでないものとを分けて見てしまいますが、宇宙的な視野で物事をみたら、それはやっぱり二つじゃなかった、一つだったになってきます。

ヴェーダーンタはこの見誤りをあの手この手で教えてくれる気がします。

最初、ヴェーダーンタを学んだ時は、一度言えばわかるのになぁって思って、なんでくどくど言うのかな?って感じていだけど、実生活になると、見誤りの多いこと・・・。

だから何度となく触れること、学ぶこと、よく考えることの大切さを教えてくれるヴェーダーンタは必須と言われるのがやっと理解できたが・・・ここが落とし穴だから、わかった気にならないように、学びを繰り返して熟考して、落としこむことの大切さを忘れないようにしたいと思った。

この宇宙の魔術は心の中の思考から生じる。宇宙があるように見えるのは、心の思考のせいである。

しかしすべてを超越した、大いなる真の実在に到達することを目指す者は、まずこの思考を放棄しなければならない。

 ・この宇宙(この世の中、ありとあらゆるもの)の魔術は心から(心が考えるから)生まれている。

 ・宇宙(この世の中、ありとあらゆるもの)があるように見えるのは心が思考するせい。

だから、

大いなる真の実在(ブラフマン)に到達することを目指す者は、まずこの思考を放棄しなければならない。

思考の放棄は難しいけれど、それができれば心は動かないので、純粋な気持ちでいる事ができるから、大いなる真の実在と一つだと気づくことができるのかな?

なぜ純粋な気持ちに結びついたかというと、シヴァーナンダさんのスローガン的なServe,Love,Give,Purify, Meditate, Realizeを思い出すからです。

まずは瞑想ではなく、この順番が、とても意味があって大切だということを折に触れて感じることが多いです。

純粋な気持ちでないと、なかなか先には進めないし、私達は無知をなくすことができないのではないかな?というのが今の想いです。

すべての考え、想像を放棄した者はヨーガの正道を確立したといえる。

思考が消え去れば、宇宙も消えてなくなる。

思考が絶滅すると、見るものと見られるものを区別する考えは消え去り、実在のブラフマンが遮られることなく光り輝く。

その時、動くものも動かないものも、あまねく宇宙の幻影はブラフマンただ一つ、その中に溶け込む。

「私」と考えることで、現世のすべてが始まる。

私がなくなれば、太陽が闇をかき消すように、現世もまたたく間に消え去る。

最初、思考という言葉と私(エゴ)に引っ張られ、サーンキヤで理解しようとしたけれど、そうすると、思考はなくなるけど、宇宙(この世の中)は残ってしまいます。

そして、実在となるブラフマンの話が出てくるので、これも不二一元論で理解した方が良さそうです。

全ての考えというところで引っかかってしまいそうですが、心の波と思ったらどうでしょうか?

そして、想像という言葉が出てくると、想像が悪いの?と思いがちですが、想像にも色々あります。

そして、そういう時は、今ここにいない時で、過去、未来に気持ちが行ってしまっています。

そんな時には心は穏やかではありません。

心が穏やかになると、最初からそこにあるブラフマンに気づくことができるのではないでしょうか?

私という考え=エゴがあると、これもブラフマンという存在に気づくことができないのではないでしょうか?

一元論はこの世は幻だと気づくことでした。

私がなければ、「私」と「この世」という二つに見えていたものは、最初からブラフマンただ一つだったと気づくことができるのだと思います。

この後に続く部分も例えを変えながら同じことを仰っているように受け取りました。

私達は間違った識別をします。

でもそれがなくなって心が静かな状態になればブラフマンとアートマンは一つだったと気づくことができます。

【心は三つの枠の中で働く】

心は必ず時間、空間、因果律の枠の中で働く。この三つの枠は心が創造したものにすぎない。椰子の木は実際には六メートルの高さではない。高さは心の解釈である。

心をブラフマンに集中し、超越すれば、この枠は外されて全く消え去る。そこは時間も空間もない、「空」の世界だ。

こんなふうに考えたこともなかったけれど、何回も読むうちに禅の十牛図を思い出しました。

禅のゴールは8番目で絵では空を表していました。

そしてここに書かれている部分は9番目に近いと感じました。

そこには綺麗な風景が書かれていますが、いつもの風景だけれども、8番目に達した人が見る風景への感じ方は、それまで見ていた同じ風景でも、束縛されていない心で見ているから良いも、悪いもない状態です。

しかし私達はまだゴールに達していないので、その時の心の状態で同じものを見る時に、綺麗だな〜って思う時もあれば、何かの思い出と結びつけて嫌な気持ちにもなったりします。

そこに注意が必要だと仰っている感じがしました。

今月は第16章 思考が世界をつくる 【宇宙についてのなぜ、どうして】からです。

お問合せ・お申し込み

使いやすいものでお問い合わせしてくださいね。

全ての窓口は加藤です。

●LINE

友だち追加

●メール:ylsbija@gmail.com

●電話:090-7912-2282

最後に

6月も難しい部分でした。

まだまだ復習しきれていません。

わからないことと向き合う時、もう考えたくない・・・ってなりますが、それでもこの読書会に参加することでちゃんと自分に向き合ってまとめなくてはなりません。

本に向き合っているようで、自分と沢山対話をしている感じになります。

それがいいところかな?って思います。

また、仲間がいることが心を強くしてくれます。

今月はどこまで進めるかな?

亀のような歩みですが、少しずつ進んでいるようです。

Yoga Bija

加藤

Follow me!


コメントを残す