『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』第4章8節〜9節/ヨーガとグル
ハタ・ヨーガの教典『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』は四つの章で構成されています。
第1章アーサナ
第2章プラーナーヤーマ
第3章ムドラー
第4章ラージャ・ヨーガ
成瀬貴良先生の『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー 前編』では
第1章アーサナと第2章プラーナーヤーマを読むことができます。
『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー 後編』では
第3章ムドラーと第4章ラージャ・ヨーガを読むことができます。
また、佐保田鶴二先生の『ヨーガ根本教典』では後半に『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』が訳されていて、『続ヨーガ根本教典』には、これもまたハタ・ヨーガの教典『ゲーランダ・サンヒター』と『シヴァ・サンヒター』を邦訳で読むことができます。
成瀬先生の本は、わかりやすい言葉で解説されているので、ボリュームはありますが理解が深まると思います。
ヨーガを深めたい方はぜひ一緒に学んでいきましょう♪
いつでも参加できるように、学習会で学んだことを少しづつご紹介していきます。
ヨーガとグル
第4章8節〜9節はヨーガとグルについて書かれています。
Ⅳー8
ラージャ・ヨーガの高徳が生じるのは誰か?
真理、智慧、解脱、堅固さ、シッディはグルの言うこと(教え)によって得られる。
Ⅳー9
真のグルの慈悲がなければ、享楽の放棄は難しい。真理を知ることは難しい、自然の状態(サハジャ)は難しい。
『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー 後編』成瀬貴良
グルについては今までも沢山出てきています。
それぐらいヨーガの成功にとってグルは重要ということになります。
ここで改めてグルについて『ヨーガ事典』から引用します。
【グル】
①重い。重要な。偉大なる。尊敬すべき。峻厳なる。大切な。師。尊者。尊敬すべき人。
父。母。年長者。大切な人。教養的な解釈として「無知という闇を払う者」といわれる。
②ヨーガの学習における重要な要素の一つ。古代よりインドでは、ヨーガが成就するかしないかはグルにかかっているといわれる。グルは一般社会での教師や先生とは異なり、ただ単に知識やテクニックを教えるものではなく、なんらかの形で弟子の人生に大きな影響を与える人でなくてはならない。グルの定義は一言では言い表せないほど微妙なものである。インドでは伝統的にグルを神の化身であるかのように尊敬し、グルの口から出た言葉は神の言葉と同じものとして聞かなくてはならないとされている。
『ヨーガ事典』成瀬貴良[編著]
実は、『ヨーガ事典』ではグルについて約1ページにわたって書かれています。
直訳は「重い」という意味です。
そして、教義的には「無知という闇を払う者」といわれています。
②に書かれているように、グルは大切なんだけども「グルの定義は一言では言い表せないほど微妙なものである。」と言われるから、約1ページもなるくらい内容が濃いのかもしれませんね。
◆サット・グル
サット・グルとは「真のグル」という意味である。人は本や知識だけでは真のグルにはなることは出来ない。ブラフマンの「知」を得た者だけが、解脱に到達した者だけが、サット・グルになり得る。しばしば、グルは弟子を「悟り、解説」という目的地に導いてくれるガイドのようなものであるといわれるが、それは、少なくともグル自身が「悟り、解説」という目的地に行った経験がなくては人を連れて行くことはできないからである。
『ヨーガ事典』成瀬貴良[編著]
◆グルの必要性
ヨーガを学ぶ者にとってグルは必要不可決の存在とされている。人はなかなか自分の欠点を見いだすことができず、それを指摘してくれるのはグルだけである。そのためにも、グルの前で弟子は謙虚でなくてはならない。それは決して自分を否定したり卑下することではなく、そういう気持ちで接するのでなければグルの教えを受け入れることができないからである。グルと弟子の関係というのは一般社会における対等の立場での、教える者と教わる者という図式ではない。
グルというのは、あくまで自分との「関係」であり、ある人をグルとするかどうは自分自身で決めることであり、客観的な物差しがあるわけではないし、他人が決めることでもない。
グルに巡り会わないものは自在神の名前である聖音「オーム」を唱える。何故なば自在神は時間に制限されていないから、太古のグルにとってもグルなのである
『ヨーガ事典』成瀬貴良[編著]
◆グルの必要性で書かれているように、グルは自分で決めるものであることもポイントの一つのように感じます。
そして、私のようにまだグルと出逢っていない方は「オーム」を唱えましょう。
また、9節に書かれている【真のグル】は上記の【サット・グル】のことになります。
成瀬先生の解説には、シヴァーナンダさんの『グル・タットヴァ』から【偽りのグルについて】の引用がありました。
『グル・タットヴァ』については、成瀬先生から学んでいるので、興味がある方学習会しましょう!お声がけくださいね。
続いて、慈悲について解説があります。
慈悲は「カルナー」といいます。慈悲は日常生活でも「あの人は慈悲深い」などとよく使われる言葉ですが、本来、慈と悲は異なるものです。慈と悲は『ヨーガ・スートラ』では心の清澄さを得る四つの方法の中の2つにあげられています。仏教でも四無量心(慈・悲・喜・捨)とよばれ、『佛教語大辞典』では「四つの大きな心。四つのはかり知れない利他の心。」と解説されています。
『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー 後編』成瀬貴良
さらに
「慈(マイトリー) とは、楽しみを享受している人に対しては友情を。悲(カルナー)とは、苦しんでいる人たちに対して同情を。喜 (ムディター) とは、善い性質の人には喜びを。捨(ウペークシャー)とは、悪い性質の人たちに対しては無関心を。と『ヨーガ・スートラ』の註釈書の中で定義されています。
しかし、わたしたちは、楽しみを享受している人に対しては嫉妬を、苦しんでいる人たちに対しては無関心を、善い性質の人には皮肉を、悪い性質の人たちに対しては僧しみを、という態度や感情を持ってしまうことがあるのも事実ではないでしょうか。
世間一般の人とは異なり、真のグルは慈悲の心であふれています。そのようなグルの慈悲がなければ享楽の放棄は難しいとあります。
『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー 後編』成瀬貴良
と、解説が続きます。
この9節の解説もかなり詳細で、【ヨーガはどのような快楽も否定すると考えることで誤解が生じ、むしろ不自然になってしまうので、これは個人個人の問題です。】というような内容が書かれていました。
また、最後に説かれている【自然の状態(サハジャ)は難しい。】という部分はサハジャをどういう意味でとるかで意味合いが変わると解説されています。
サハジャの意味は「生来の、生まれつき、自然】という意味です。
左道密教系のサハジャ教の考えです。
この宗派では、人間は本来生まれつき悟っているととらえているそうです。
成瀬先生の解説のひとつは【解脱していながら自然の状態でいることは難しい】。
あるいは【真のグルの恩恵がなければ自然の状態のままで解脱するのは難しい】とも受け取れると書かれていました。
どうとらえますか?
11月の学習会は4章10節からです。
私の資料には講義で先生がたくさんコメントしていたことが残っているので、本には書ききれなかったこともお伝えしていきますね。
11月の学習会の日程
今年の夏は暑かったので、朝の少し早めの頭が冴えている時間に実施してみたら、集中してできたので、8月から時間が変更になっています。
以下、ご確認くださいね。
日時:2023年11月14日火曜日8時30分〜10時
場所:Yoga Bija 清水町教室
講師:加藤 照美(Yoga Bija主宰)
持ち物:『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー 後編』(*貸出も可能ですが、数に限りがあります。お申し込み時に必ずお伝えください。)/筆記用具
その他:坐学です。床に坐っても楽な服装でご参加ください。
受講料:3000円
ご予約と締切について
ご予約はLINEでもできるようになりました。
メールやお電話でも受付ていますので、お好きな方法をお選びくださいね。
メール:ylsbija@gmail.com お電話:09079122282(加藤)
ぜひご一緒にヨーガの教典を読みましょう♪
最後に
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猛反省中です。
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加藤