【サット・サンガ】サンヤマ/ダーラナー、ディヤーナ、サマーディ
ビージャのサット・サンガはオンラインで行っています。
瞑想のヨーガの教典『ヨーガ・スートラ』をわかりやすく解説した本、『パタンジャリ・ヨーガの実践』を読んでいます。
瞑想に興味がある方、ヨーガを深めたい方、どなたでも無料で参加できる集まりです。
内容は、始まりのマントラを唱えるところからスタートします。
その後、参加者で『パタンジャリ・ヨーガの実践』を意見交換しながら読み進めています。
参加者で順番に読んでいくので事前に本をご用意ください。
☆日本ヴェーダーンタ協会
☆楽天ブックス で購入可能です。
また、進行役も順番で行っていきます。
本の小見出しで区切り、順番に読み進めていきます。
ひとりが終えたところで、感想を話し合います。そして最後も終わりのマントラを唱えて終わります。
9月からアシュターンガ・ヨーガの実践の6番目以降をまとめてサンヤマというのですが、その中の6番目にあたる【ダーラナー】から読み始めました。
9月の復習【ダーラナー】
プラティヤーハーラ(プラティアーハーラ)に続く、ダーラナー、ディヤーナ、サマーディを合わせて【サンヤマ】といいます。
この本の中では「集中に関係ある最後の3つの段階を合わせて」という説明がついていました。
なかなか難しい【集中】ですが、ダーラナーの意味が【集中】です。
本の中には
集中は、ラージャ・ヨーガだけではなく、どのヨーガの瞑想においても重要です。
『パタンジャリ・ヨーガの実践』スワーミー・メーダサーナンダ
と、書かれています。
本当にその通りで、集中がなければ瞑想もできません。
それでは早速どんなことが書かれているか見ていきましょう。
ダーラナーは集中のファースト・ステップ。
実践方法は
・意識を身体のある一箇所に定めて集中させます。
身体に集中する理由は
・この段階では「真の純粋な心」や「自分の本性」をイメージできず、集中するのが難しいから。
・体は身近にあって常にそれについて考えているから。
ポイントは
・ある一ヶ所に集中すること。
そして、ヴィヴェーカーナンダさんがダーラナーについて教えてくれています。
【集中の場所】
・ハートの一点を思い続ける。(これは大変難しい。)
・心に一つの蓮華を想像する。
その蓮華は、かがやく光に満ちている。
・スシュムナーの様々なチャクラを思いえがく。
・身体の場所の中では他に、ハート(心臓ではなく、胸の中心に存在しているものと想定)・舌先・眉間・頭頂・手など。
【集中する方法】
ヴィッパサナー瞑想のように、日常の行為に深く集中する方法
・息を吸う、吐くに集中する
・息を吸うと胸がふくらむ、吐くとしぼむ、という胸の動きに集中する
・歩行のプロセスに集中する
[右足の一歩 → 左足の一歩 → 右足 → 左足・・・・・]
・食事のプロセスに集中する
[箸を持つ → つまむ → 口に入れる → 噛む → 味わう → 飲み込む・・・・・】
『パタンジャリ・ヨーガの実践』スワーミー・メーダサーナンダ
こんな感じで、集中の場所や方法が書かれているので実践しやすいです。
教室でも実際にやっているやり方も紹介されていました。
こんなふうに練習を続けていると、瞑想の対象が徐々に鮮明になり、集中できる時間ものびてくるようです。
続いて【ディヤーナ】についてもヴィヴェーカーナンダさんのお話が紹介されています。
・プラティヤーハーラ(プラティアーハーラ)とダーラナーの次にディヤーナ(瞑想)がくる。
・ディヤーナ(瞑想)は、心が(内または外の)ある位置に集中し続けるように訓練されると、その一点に向かって不断の流れとして流れ続ける力が生まれること。
・ディヤーナ(瞑想)は、ダーラナーより深い集中状態。
・ディヤーナ(瞑想)は、瞑想の対象をはっきりと見ることができるようになる。
・ディヤーナ(瞑想)は、深い集中状態が安定して、途切れなく続いている状態。例えば、油や蜂蜜を別のものに注ぐ時になめらかに続く状態と同じです。
この、油や蜂蜜の例えは、シヴァーナンダさんの本でも読んだことがあります。
とても分かりやすいです。
分かりやすいですが、そのような状態にはなかなかなれません。
この本ではさらに禅の求道者の例え話も紹介されていました。
なぜ、禅の例えが急に出てきたかというと、そもそも禅(ぜん)はディヤーナ(瞑想)が言葉の始まりだからです。
仏教はインドから中国を経て日本に入ってきました。
インドの言葉、【ディヤーナ(瞑想)】が中国で音に漢字をあてて【禅那(ぜんな)】になり、日本に入ってきた時に【那】がとれて【禅】になったと言われています。
そして、坐って瞑想するから【坐禅】ですよね。
もともとお釈迦様がされていたのが坐禅です。
そして、苦行をやめ、沐浴して、菩提樹の下で日陰に入り悟りを得たと言われています。
もともと苦行は暑い環境で行うものでしたし、お釈迦様は断食もされて、相当な苦行をされたと聞きました。
苦行はタパスです。
アシュターンガ・ヨーガの二ヤマの一つです。
だからなのか、お釈迦様はヨーギーだったと言われますね。
また、ここでは、「雑念」が集中を妨げるものだと書かれていましたが、皆さんも体験があると思います。
集中するには、事前に準備が必要だとも書かれていました。
だから、アシュターンガ・ヨーガといってヨーガには八段階あることになりますね。
成瀬貴良先生の『いまに生きる インドの叡智』にも書かれていますが、最終的にサマーディに到達した状態でみると、ここに至るにはこの八つの段階が必要になりますね。
ディヤーナ(瞑想)のレベルまでにいくには、ダーラナー(集中)が大切ですし、集中するのには、プラティヤーハーラ(プラティアーハーラ 制感)・・・などなど、ヤマ・二ヤマも基本的に大切なことですね。
さらに、この本の中で、まるでラーマクリシュナさんみたいな状態の様子が書かれていました。
ディヤーナ(瞑想)の状態のヨーギーは、集中の対象に深く没入し、体意識はまったくなくなります。鳥はヨーギーの髪の毛を巣だと思って頭に止まり、ヘビはヨーギーの足を棒切れだと思って這うほどです。彼らはヨーギーを意識のない物質だと思い、またヨーギーも彼らへの意識をまったく失っています。
『パタンジャリ・ヨーガの実践』スワーミー・メーダサーナンダ
このような状態でもまだディヤーナ(瞑想)のレベルです。
これから解説されるサマーディの状態はどんな感じなのでしょうか?
続いて【サンヤマ】です。
【サンヤマ】はアシュターンガ・ヨーガの最後の三つの内的部門にあたる、ダーラナー、ディヤーナ、サマーディを指します。
ここでも、ヴィヴェーカーナンダさんのお話から紹介がありました。
ディヤーナの力が非常に強くなって、外界の知覚をしりぞけ、内的存在の意味だけを瞑想しつづけることができるようになると、その状態がサマーディとよばれます。
『パタンジャリ・ヨーガの実践』スワーミー・メーダサーナンダ
体感として味わったことがないので、サマーディの説明は難しいかったのですが、こんなふうに文字にしてもらうと有り難いことです。
何度も読んで言葉の理解と、瞑想の実践で理解していきたいですね。
この本にも書かれているのですが、成瀬先生はよく「瞑想までは自分で準備ができるけれど、サマーディは向こうからやってくるので、ここからが瞑想でここからがサマーディというように区切ることができません。」と、仰っていました。
スヴァーミーは、「ダーラナー(集中)まではできるけど、そこから先は向こうからやってくる。」というお話しでした。
似ているんですが、自分がどこまでできているか?の違いですね。
そもそも『ヨーガ・スートラ』は短い簡潔な言葉で書かれているので、こんなふうにそのことに対して「話し合うことも、目的になっていただろう。」と、聞いたことがあります。
この本の中でヴィヴィーカーナンダさんは具体的な数字をあげています。
ダーラナーからディヤーナーへと進むのは、集中の過程で自然に起こることなので、はっきり区切ることはできません。「12秒の集中ができればダーラナーとなり、その12倍の144秒(2分24秒)の集中ができればディヤーナとなり、その12倍1728秒(28分48秒)の集中ができればサマーディになる」と言われていますが、この一連のことを「サンヤマ」といいます。
[一点集中(ダーラナー) → 一点集中の継続(ディヤーナ)→ その集中の内なる存在のみに定住する(サマーディ)]という一連です。
『パタンジャリ・ヨーガの実践』スワーミー・メーダサーナンダ
28分48秒の集中だと、そう難しいことではなさそうで、希望が持てたのですが、私たちは1分間に20〜30のことを考えていて、そのほとんどがどうでもいいことを考えているようです。
できているつもりでも、なかなか難しいところですね。
シヴァーナンダ さんのお話しの中にも、長時間瞑想しているのに、終わったあと眠たそうにしている人を見てお弟子さん達にアドヴァイスしているものがありました。
時間ではなく、内容が大切ですね。
そして、【内なる存在のみに定住】という意味わかるでしょうか?
なんとなく、ニュアンスでわかった気になっていたのですが、ヴィヴェーカーナンダさんの『ラージャ・ヨーガ』を読んで見ると、「ダーラナーでは一点に集中しているが心の波はまだ残っていて、ディヤーナはその波が一つになり、サマーディでは心が一つの波、一つの形になること」と書かれていて、わかりやすかったです。
さらにヴィヴェーカーナンダさんが【サンヤマ】について仰っています。
この瞑想状態(サンヤマ)は、存在の最高の状態です。欲望がある間は、真の幸福は得られません。われわれに真の喜びと幸福をもたらすのは、黙想的な傍観者として対象を見る、この瞑想だけです。
『パタンジャリ・ヨーガの実践』スワーミー・メーダサーナンダ
欲望については、ヤマ・二ヤマも重要ですし、傍観者になることを成瀬先生はよく「観察」と仰っていました。
スヴァーミーも「離れたところで自分を見るように、ただみなさい。」と教えてくれました。
サーンキヤの二元論の図を思い出してみてください。
プルシャのところに【観照者】と書かれています。
本当の私たちは観る方なので、そこを間違えないようにしましょう。
点線で囲われている部分は心です。
四角で囲われた、マナスを含めたエーカダシャ・インドリヤは身体です。
どんな見た目でも、泣いたり、笑ったり、怒ったり・・・などなど、それはプラクリティで、本当の私ではないと考えるのが、サーンキヤの二元論です。
この【サンヤマ】の最後には、霊的実践に高飛びはないこと、一歩一歩着実に進むこと、とアドヴァイスがあります。
そして、潜在意識を清めて初めてダーラナー、ディヤーナ、サマーディと進めるのだそうです。
潜在意識だけに、かなり難しそうです。
最後にヴィッパサナー瞑想して9月のサット・サンガは終わりました。
10月は【チッタの本性】からになります。
2023年10月のサット・サンガの日程
サット・サンガは基本第4土曜日開催です。(12月は年末になるので第2土曜日開催です。)
10月は第4土曜日の28日が開催日です。(*11月は25日です。)
17時にスタートし、18時30分までの90分間行います。
Zoomで行うので準備をお願いします。(*わからない時は聞いてくださいね)
ご予約と締切について
ご予約はLINEでもできるようになりました。
メールやお電話、予約サイトで受付ていますので、お好きな方法をお選びくださいね。
メール:ylsbija@gmail.com お電話:09079122282(加藤)
お申込みいただいた方にZoomの案内をしますので、22日までにご案内が届かない方は、お手数ですが上記より連絡ください。
締切は10月27日(金)19時までになります。
直前まではっきりしないという場合はその旨お知らせくださいね。
お申し込みお待ちしています。
最後に
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毎日の更新を目標にしていましたが、1月から怠け気味です。
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