大阿闍梨さんのお話し【感謝と信仰】


千日回峰行と四無行を行った大阿闍梨さんのお話しをテレビ番組【サワコの朝】で聞きかじりました。

今は便利になったので、タイムリーに番組を見れなくても配信サービスがあり、後でパソコンやスマホで観ることができて、私はメモ好きなので、番組の内容をメモすることもできます。

期間限定ではあるけど、何度も視聴可能なので気になった時にはよく利用しています。

そして、いいお話しだったことと、サット・サンガで学んでいる『バガヴァッド・ギーター』にも通じる部分もあったので、ご紹介させていただきます。

千日回峰行については成瀬貴良先生から話しを聞いていて、凄まじい修行と聞いていました。

番組では、千日回峰行は1300年でふたりが成し遂げた荒行だと言っていました。

実は、古本屋さんで『阿闍梨誕生 比叡山千日回峰行・ある行者の半生』という本をずっと前に購入していて、一人目はこの本に紹介されている方なのかな?って思うのですが・・・

千日回峰行と498日目の日記

番組の中で、498日目の日記の文字が涙で滲んでいたことについてお話しされていました。

涙は苦しくて辛くて流していたんじゃない。

身体に負担をかけて「ごめんね」という気持ちだった。

辛いこと楽しいことは背中合わせ、生きるか死ぬか…という場面でも、感謝の言葉しかなかった。

千日回峰行が目的ではなくて、やったあとに仙台にお寺を建てる。

全国に公演できるお坊さんになる。

そして、50歳をすぎたら世界に出て行く。

そういう思いだった。

涙の理由が、苦しいとか、辛いじゃなかったというのは、一般的な私達の感覚とは違う感じがします。

逆説的かもしれませんが、こんな荒行を成し遂げられる方は【感謝】の気持ちが常にあるからできるのかもしれません。

そして、目的が千日回峰行ではなかったことも、興味を惹かれるところです。

その後に続く、やりたい事があったから頑張れたのかもしれません。

写真は『阿闍梨誕生 比叡山千日回峰行・ある行者の半生』からです。

夜、山の中を歩いていて、「何に出くわすのが一番怖いと思う?」質問を記者の方にしていたお話が面白かったです。

四無行

翌年、四無行を行った。

四無行は、飲まず・食わず・寝ず・横にならず 

を行う修行です。

それは9日間行うものです。

また、一日3回、本尊の前で1時間の読経を9日間続け、不動明王の真言を10万回唱えなくてはいけない。

5日目から一日一回のうがいが許されるけど、水の量を測り、うがい後の水が少なくなったら、飲んだとされ、その場で失格になります。

生きて終える確率は50%。

「3日目から死臭が部屋じゅうにした。」と言われた。

視力以外の感覚が研ぎ澄まされて、お手伝いのお坊さんが言おうとすることがわかった。

先に紹介した『阿闍梨誕生 比叡山千日回峰行・ある行者の半生』にもその様子が書かれていました。

食べないっていうのはできそうな気がしますが、飲まない状態で真言を唱え続け、寝ない・横にならないことを、9日間も続けることは本当に大変な事だと思います。

今生きていく上で心がけることとは?

日本一の荒行を成し遂げて気づいたこと。

日常のルーティンでも気づけることがある。

イラっとしたり、ムカッとしたり、する時、理由を考えると相手にいきつく、そこに行くと、恨み憎しみになる。

段々と暗い方に気持ちがいってしまう。

そうすると自分の人生も表情もそっちにいってしまう。

行ってしまったら、早めにすぐ戻そう。

なぜかというと、「自分の人生が悪い方にいかないように」「いい方にしよう」って思う。無理でも、強い意志で、明るいこと考えよう。

感謝を考えよう。

苦しいことは、無理にでも感謝にもっていく。

そこに囚われないことで気持ちが明るくなる。

そうすると、運は運ばれるって書くように、いい方にいい方に運ばれる、運が良くなる。

これを実践している。

心を軽くするのは、いつも笑うこと。笑いたくなくても笑いましょう。

口角を上げていると運気があがります。

このお話をしながら、大阿闍梨の塩沼亮潤さんもニコニコ顔でお話しをされていました。

壮絶な修行の先に見えたことは?

我々の思考は、どうして?なんで?って考えてしまう性質がある。

ずっと考えてもわからないものはわからない。

あるがままを受け入れる、という気持ち。

どんな状況に追い込まれても、「まっ、しょうがないなぁ」と思って、自分ができる最善を尽くして、生きられるだけ生きたらいいなぁ。

荒行しているので身体はボロボロだけど、(脳の左側の3分の1が壊死して、毛細血管もないけど、記憶力はいい)足りない部分は身体がおぎなってくれている。

無いものは無いからしょうがないって考える。

与えてられた環境の中で頑張らさせてもらうというだけのこと。

毎日毎日を楽しもう!

自分が楽しくなければ、相手を楽しませられない。

いつも笑顔でいたら、周りが興味を持ってくれる。

伝わっていく。

何かしたいって思わなくなって、あるがままいつもニコニコしていたら広がりがある。

肩に力を入れている時はダメだった。

自らが楽しくしていると広がる。

あるがままを受け入れるというのは、ラージャ・ヨーガ(瞑想のヨーガ)の実践面である、アシュターンガ・ヨーガのニヤマ(勧戒)のサントーシャ(知足・満足)という教えと同じです。

そして、【できる限りの努力】もポイントです。

あるがままを受け入れますが、何もしないってことではないんです。

そしてニコニコでいる。

これも、シヴァーナンダさんのことを知るとニコニコしていられます。

シヴァーナンダさんは太陽のような人だった言われます。

シヴァーナンダさんのような実績は残せなくても、いつもニコニコを心がけることはできそうです。

そうは言っても、これは性格にもよると思います。

ネガティブになりやすいこともあると思いますが、自分の一生は決まっているから、それをネガティブに過ごすよりは、ニコニコ楽しく過ごすように、マインドを切り替えてみましょう。

どうしてもネガティブになりやすい場合の解決方法はヨーガ指導者育成コースなどで紹介しています。

お寺にいかなくてもできることがある

朝、一日がはじまる時に心の中で、「今日も一日お願いします。家族みんなが無事でありますように。」と、お祈りして、一日いいことをして悪いことをしない。

悪いことをしたら反省する。

家に帰ったら家族団欒のご飯を食べ、「今日もありがとうございました。」って心の中で手を合わせる。

これは、立派な信仰です。

宗教とか、修行とかは開祖がいて、色んな教えをほどこしてくれた。

ただ、そこに囚われて修行しすぎ、勉強しすぎになる。

知識をいっぱい詰め込めば単なる物知り。

修行しすぎれば、行者じゃなく行屋です。

だから、そこに囚われず、楽しく本来みんな仲良く生きていくために、必要な教えですから、それぞれの宗教はものすごく尊い存在なので、ただそれを形づけずに、こころの中でもっと楽しみを、人生をみつけていくのが、本来の信仰心になる。

わかりやすくお話ししてくださいました。

慈眼寺では第1・第3 午後1時から法話がきけるようです。

コロナ禍なので、現在は全座席が指定席になっているようです。

詳細はホームページをご覧になってみてください。

また、塩沼亮潤さん個人のホームページには写真も沢山掲載されていました。

そうそう!

【サワコの朝】ではゲストの好きな曲を紹介しているのですが、レディー・ガガの【ボーン・ディス・ウェイ】でした。

ちょっと意外でした。

けど、改めて歌詞をみてみるととても良かった♪

大阿闍梨とレディー・ガガ、通じ合っていました。

そして、大阿闍梨さんとヨーガもとっても通じ合っていました。

阿闍梨はサンスクリット語ではアーチャーリヤ。

アーチャーリヤを音訳したものが阿闍梨です。

アーチャーリヤは先生という意味です。

ヨーガのアーチャーリヤは何人いてもいいけれど、グルはひとりと言われています。

こんなこともヨーガの学習会では学んでいます。

興味がある方はヨーガを深めてみてください。

ヨーガを深める講座

サット・サンガ『バガヴァッド・ギーター』学習会

 → 基本第4土曜日15時〜16時30分オンラインで行っています。

『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』第1章学習会

→ 基本第4火曜日13時〜14時30分 清水町Bijaにて

●メール:ylsbija@gmail.com

●電話:090・7912・2282 加藤まで

わからないことがありましたらなんでも聞いてくださいね。

ご予約、お待ちしています。

Bija

加藤

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