心に光を灯す【サット・サンガ】スヴァーミー・シヴァーナンダの教えから得た2026年7月の学びと次回のご案内


間際のお知らせになりましたが、今週土曜日はサット・サンガです。

ヨーガの聖者、スヴァーミー・シヴァーナンダの本をみんなで読む読書会です。

教えたり、教わったりではない、ヨーガ好きが集まって皆んなで一緒の本を読んで、意見交換しています。

アーサナ(ポーズ)を一切しませんが、それでもヨーガなんです。

以下に、月に一度のサット・サンガのお知らせと先月の学びをまとめました。

*サット・サンガはヨーガに興味がある方ならぜひご参加くださいね。
*参加費無料です

2026年8月〜2027年1月 開催のご案内

日時: 2026年8月22日(土)17時~18時30分 

場所: オンライン(Zoom使用)または姫之湯教室

読む書籍: スヴァーミー・シヴァーナンダ著『ヨーガとこころの科学』

第16章 思考が世界をつくる 【想像の中に現実の宇宙はある】からです。 

参加費: 無料

持ち物: 『ヨーガとこころの科学』(お持ちでない方は初回のみ本の貸出できます)・筆記用具

参加方法: 事前予約制。

ご予約は、24時間前までにお申込みください。

LINE や下記記載のメールやお電話、予約サイトからお申込みいただけます。

キャンセルの時もご連絡お願いします。

●LINE

友だち追加

●メール:ylsbija@gmail.com

●電話:090-7912-2282

今後のスケジュール(基本第4土曜日開催/12月のみ第2土曜日開催です)

▶︎ 次回は 9月26日/10月24日/11月28日 /12月12日/2027年1月23日

2026年7月参加メンバー各自の学びのまとめ

2026年6月の学習会は第16章 思考が世界をつくる 【宇宙についてのなぜ、どうして】から読み始めました。

◉みさき

【宇宙についてのなぜ、どうして】

「観念論」と「実在主義」異なる二つかでてきました。

それぞれ見方が違う、どう考えればよいのか…

むしろ考えるというより、受け入れる、なのかも。

宇宙創造の根本は、時間・空間・因果律に制限された人間の心では理解できないことを学びました。すべてを知ろうとするのではなく、ブラフマンの神秘を受け入れる姿勢が大切なのかも、と感じました。

【世界は存在しない-どういう意味か】

実際の山や川が消えるという意味ではなく、山を山だと思い込んでいる私の見方が変わる。そのものが変わるのではなく、見る心が変わる。夢の例のところは、夢だと気づけば、必要以上に振り回されなくなる。といった意味なのかな?

純粋意識から生じる心の活動が宇宙を構成する。

話の中で、目指すは純粋か。serve、love、give の実践ともありました。

【心が世界として顕われる】

現世は心の中に、目、耳、口と古い潜在意識の印象を通じて入り込む。

この部分で目耳口は五感を表してるのかな?外から刺激を受けなくても、昔の記憶や癖が心を動かす。

だから隠遁生活をしても、心は静かにならない。最後はサムスカーラまで浄化する必要があるようだ。

心はブラフマンそのものであることを知ろう。

心はマーヤーである。と言ったり心はブラフマンと言ったり。惑わしてくる。

無知によって心が誤った見方をしているから心を消すのではなく、真実を教える?のかな。

次の章が無知から始まるので、また読み解いていきたいです。

最後に「分かること、分からないことを書き出してみる」といったアドバイスもいただけて実践してみようと思いました。

◉なおみ

現世は私自身の心の創造物である

時間、空間、因果律は客観的な実在ではなく、知性の主観的な形にすぎない…世界は心の表現にしかすぎず、それ以上のものではない

宇宙は目覚めた状態の夢のように、この世界は心の鏡に映った像にすぎない

ここでも繰り返し同じようなことが説かれています。

普段の生活の中ではリアルに感じるし、目の前の人が”実在しない”ということは理解しがたいことかもしれません。

学生の頃に、ふと考えていたことを思い出しました。

私が”赤”と認識しているものも、他の人はそれを”私の中での青”を赤として認識しているかもしれない。同じ出来事も、認識や捉え方が人それぞれ違うということは、本当にそれが同じものとして存在しているのか?

個々の営みについて心を囚われがちだけど、ちょっと引いてみたとき、宇宙からみたときに、とっても小さなことであるし、それにどんな意味や意図があるのだろうか?と。

「宇宙がなぜ、どのようにして生じたか」という質問は超越した神聖な質問であり、心を悩ます必要はなく、ただブラフマンの楽しみなのである、と書かれていました。

ということは、展開されている宇宙はブラフマンがつくったものであり、私たちがいろいろなことを経験し、その中で無知に気づき、またブラフマンそのものに戻っていくことこそに、ブラフマンの楽しみがあるのだろうか…

そして最後に

心はブラフマンそのものであることを知ろう

とありますが、それが真に理解できたとき世界がまた違って見えてくるのだろうかと思いました。

◉ようこ

この宇宙の創造は、ブラフマンの楽しみなのである。神の遊び、神の神通力であり、神の恩寵からできている。

この言葉を何度も読んで何て素敵なんだろう✨と思いました。

私達人間を楽しませるために宇宙を創って下さったのだから私達は充分ここで楽しませて頂けばいいんだと思いました😊

宇宙の始まりは138億年前のこと。この先、科学、物理学がどんなに進んでも結局人間にはわからなくて「この宇宙の創造は〜神の恩寵から出来ている」に落ち着くのではないでしょうか。

◉たえこ

山を破壊することはできないが、山という考えを破壊することはできるのである。

の一文が、すんなり入ってきて、わかりやすかった。

欲望に引きずられて楽しむ心は、無知ゆえに、この偽りの宇宙が存在すると思い込む。

!!!

何てこった!!

考えたこともなかったモノの見方!!

まだまだ衝撃的すぎます。。。笑

近代的な文明の中で生活しながら、こんな風にものごとをとらえることは、この様な本を読まない限り、絶対的に出会わないモノの見方だと思いました。

宇宙は存在するとまだ思い込んでいます。。。笑

宇宙は存在しないと思える日がいつくるのか、楽しみです!

◉かとう

【宇宙についてのなぜ、どうして】

ここは最初に衝撃的なことが書かれていました。

私の友人、ナーラーヤン氏は私の前に立っているーこれは心の創造である。

目の前に立っている人が心の創造だと書かれています。

そして

この現世は私自身の心の創造物である。

とも書かれています。

目の前の人だけではなくです。

外界の多様性・雑多性は「マーヤー」である

というのがヴェーダーンタ、とくに不二一元論で説かれる考え方です(『いまに生きるインドの叡智』/成瀬貴良 参考)。

私たちの見方が誤っているのでしょうか?

私は以前は、マーヤーについて、【この世は幻なんだ】【存在しないんだ】と考えると便利だなと、都合良く理解していました。

でも、よく考えてみると、【存在しない】と【本来とは違って見えている】は同じではないですよね。

そんなマーヤーを一言で説明するのが難しいのですが、よく例えられるのが、暗闇でロープを見たときに、それを蛇だと思ってしまうという話です。

そこにロープは実際にある。

でも、暗闇のために私たちはそれをロープとして正しく認識できず、蛇だと見誤ってしまう。

そんなふうに、【何も存在しない】ということではなく、【そこにあるものを、本来の姿とは違って捉えている】という理解が近いかなって思います。

私もまだまだしっかりと説明できないもどかしさはありますが、今のところここまでです。

続いてシヴァーナンダさんは色々な哲学の立場を紹介してくれています。

観念論(「物質よりも精神や考え(観念)を大切にする哲学の考え方」という意味)では

実際にはこの現世は全く存在しない。

仏教のヴィニャーナ(純粋知性)説では

この世界は心の想像にしかすぎない。

実存主義では

世界は真に実在である。

マーダヴァの二元論、ラーマーヌジャの限定二元論、パタンジャリのラージャ・ヨーガは、

現世は実在である

カントは

時間、空間、因果律は客観的な実在ではなく、知性の主観的な形にすぎないと論証している。

最初に書かれていた「実在ではない」と考えるのが

観念論、仏教のヴィニャーナ(純粋知性)説、カント

「実在である」と考えるのが

実存主義、マーダヴァの二元論、ラーマーヌジャの限定二元論、パタンジャリのラージャ・ヨーガ

と、読み取れます。

ここで面白いのが、マーダヴァもラーマヌジャもヴェーダーンタの哲学者なのに、「実在である」と言っているということです。ヴェーダーンタも長い歴史の中で色々な哲学者が出てきています。

また最後にシヴァーナンダさんは

聖典も聖者も答えてはいない。あなたもこの問題で心を悩ます必要はない。この問題は決して解決できないのだ。

この宇宙の創造は、ブラフマンの楽しみなのである。神の遊び、神の神通力であり、神の恩寵からできている。

と、仰っています。

この問題で心を悩ますことはないけれど、この宇宙の創造は神の恩寵とまとめているのが面白いです。

神の恩寵については、自分の経験からもそうだろうなと思います。

【世界は存在しないーどういう意味か】

先ほどは【宇宙についてのなぜ、どうして】でしたが今度は世界は存在しないということについてどういう意味かが説かれていきます。

あなたの中でこの世界が偽りの幻だという確信が強まり、この世界は蜃気楼のようなイリュージョンなのだとしっかり思えた時、この世界が崩壊したということなのである。

私がこの世界がマーヤーでこの世界はイリュージョンとしっかり思えた時、この世界は崩壊すると書かれていますが、頭の中には勉強した知識はあっても、リアルな世界には反応してしまいます。

山を破壊することはできないが、山という考えを破壊することはできるのである。

リアルな世界への反応はあるけれど、自分で行っている考えの破壊の方が少しできそうです。

ここでは山の喩えだけれど、自分が物事をネガティブに捉え始めたら、心が作っている世界に気づき、見方を変えれば、また心が作る世界は変わっていくように思えます。

宇宙は目覚めた状態の夢のように、この世界は心の鏡に映った像にすぎない。

よくよく読んで見ると、目覚めた状態の夢って不思議です。

何を言おうとしているんだろう?

読書会の時にはマキ先生のShanti Yoga Club の資料からヴェーダーンタ哲学で考える、目覚めている時、夢を見ている時、熟睡している時について再び読んでみました。

ここでいう【目覚めた状態の夢】が何を意味しているのか、もう少し考えたいです。

この世界は心の鏡に映った像

というのは、心の状態で見え方が変わるということでしょうか?

その次に

心はさまざまな絵の描かれた巨大な布地でもある。しかしここには画家も、キャンバスも、筆、パレット、オイル、絵の具などの画材は何もない。

こんなふうに書かれているから、自分の心の状態によって、世界の見え方も変わるということなのかなと思います。

「画家がいない」というのは面白いですよね。私はこれまで、サーンキヤの考え方から、自分というエゴ(アハンカーラ)から心が生まれるように捉えていました。

でも、ここでは「画家もいない」と書かれています。これはどういう意味なのでしょうか?

宇宙の絵は汚れのない知識の空間に描かれる雄大な絵画である。純粋意識から生じる心の活動が宇宙を構成する。

ここもまた難しいですね。

まず、【汚れのない意識の空間】は何でしょう?後に書かれている純粋意識のことを指しているように感じます。

先ほども絵を喩えに使っていました。

細切れで読み解くから難しくなっているのでしょうか?

この段落では、「この宇宙、世界は心の鏡に写った像・・・」というところから始まっています。

この宇宙についてのことを仰っているんだけど、ここでは心の活動が宇宙を構成していると書かれているので、喩えを多用してはいるけれども、最初から一貫して、同じことを仰っているように感じました。

心はマーヤーである。心が名前や形に魅せられ、執着を絶ちがたいのは迷いである。自分を心だと考えるのは、幻影であり迷いである。

そして、ここでつながってきますね。心はマーヤーだとおっしゃっている。

ヴェーダーンタでは、本当の自分のことをアートマンと言います。

また、ヨーガの考え方や仏教でも、輪廻転生という考え方があります。

私たちは転生を繰り返すと考えますが、本当の自分であるアートマンそのものは変化しないと考えます。

その変わらないものをアートマンと呼んでいます。

そして、ここにも書かれているように、名前と形があるものは変化します。

以前、スヴァーミーに「名前と形があるものは本物ではない」と教わったことがあります。

変わっていく名前や形のあるものを「私のもの」「私自身」と捉えて執着することが、また輪廻につながっていくのだと考えます。

おっしゃっていることは、以前教わったことなのでしっくりくるのですが、未熟な私には難しいことです。

これもスヴァーミーに教わったのですが、まずは、今起こっていることから少し離れて観察するところから始めていきたいです。

そうすれば、ここで書かれているように、自分を心だと考えず、起きていることを観ている人になれるように変わっていける気がします。

【世界は存在しないという理由】は、私たちの心を通して見ている世界は、それぞれ違っていて、同じものは一つもないからマーヤーということになるのでしょうか?

【心が世界として顕われる】

プラーナのバイブレーションや活動が心を動かす。

プラーナは生命エネルギーだから動いているものですよね。

ヨーガの伝統では、チャクラはプラーナの働きと関連する重要なポイントとして説明されます

チャクラは円盤という意味もあるけど私のイメージではグルグル回って動いているイメージです。

そのプラーナが心を動かすとここでは書かれています。

プラーナと心の関係はチダーナンダジーの本『八段階のヨーガ』(パタンジャリの『ヨーガ・スートラ』について書かれている読みやすい本です)の中でプラーナーヤーマのところに

心を動かしているものがプラーナ(気)なのです。もしプラーナ(気)が停止させられれば、心は動くことができず、心の静止状態がやってくるのです。

と、書かれています。

再び『ヨーガとこころの科学』に戻ります。

心の活動が宇宙を生じる。心は外の世界として自らを顕わす。マーヤーの力の一つ、振動させる力から名前と形は生じる。

マーヤーの力も振動させることだと書かれています。

そして、マーヤーから名前と形は生じるとも書かれています。

前のところでスヴァーミーが言った言葉を紹介しましたが、名前と形を持った『私』という存在は、マーヤーによって現れている世界の一部として捉えられる。でも、それが私の本質だと言っているわけではないんですね。

そういえば、ラーマナ・マハーリシの教えにも、私とは本当に何なのかを問い続ける「Who am I?/私は誰か?」という自己探求方法があります。」余談ですが、ラーマナマハーリシは大好きな聖者のひとりです。

振動させる力は目覚めた状態と夢見る状態の両方で働く。全世界はこの力によって展開されているが、熟睡状態ではこれは消え去る。

これも前のところで触れた夢の例え話です。私たちが経験することを、夢を通して解説されているのだけど、

プラーナはその状態の中でも、目覚めた状態(これは起きている状態だからわかる)と夢見る状態(夢を観ているという自分(名前と形がある)はいる状態)の両方で働いて、熟睡では消え去ると書かれています。

熟睡ではプラーナもなくなるの?と思いますよね。でも、もちろん生きているのでプラーナそのものがなくなるわけではありません。ここで言っているのは、目覚めているときや夢のときのような、心による世界の展開がなくなる、ということだと思います。

現世は心の中に、目、耳、口と古い潜在意識の印象、を通じて入り込む。隠遁生活をすれば、最初の三つの入口を閉じることができる。真の大いなる存在の探求によって、四番目の印象をも破壊することができる。

ここでは、目、耳、口だけ書かれているけれども、私たちが外界を取り入れる入口という意味では、鼻や皮膚など五感全体を考えてよいのかなと思います。

この五感は自分で練習を重ねていけば難しいですがコントロールできるところと言われていますが、潜在意識は難しいですね。

【真の大いなる存在の探求】は、さきほど紹介したラーマナ・マハーリシのやり方かな?と思います。アルナーチャラにあるラーマナ・マハーリシのアーシュラムはとっても静かで、針が一本落ちてもその音に気づくことができるようなアーシュラム何だと聞きました。そして、今でもラーマ・ナマハーリシのエネルギーに満ちていると聞きました。静かなところではないと、五感が引っ張られるので、自分を見つめていく作業は難しいと思います。

青く見える空の色は、実際には存在しない。同様に幻の心には、この世が真の世界として輝いて見える。その実、輝いているのはアートマンそのものであるのだが。心はブラフマンの知性の力であり、物質は物質化する力であり、プラーナは活動の力である。すべてはブラフマンのものである。

今日も空の色は夏の空という感じで綺麗な青空ですが、それが実在しないと書かれています。

同じ青空でも、自分の気持ちを押さえ込んでいた時に感じる青空と、そうでない時の青空は違うという話を聞いたことがあります。深い瞑想に入った方の話でも同じような話を聞きました。同じ空でも見え方が違う。禅の十牛図でも9番目はその状態を表していると聞きました。

でも、本当はそれがアートマンだと書かれています。

アートマンはこれも前に出てきましたが、真実の自己と訳されます。

アートマンとブラフマンは本来一つなんだというのが梵我一如という状態。そこに気づくことが大切なのがヴェーダーンタです。

欲望に引きずられて楽しむ心は、無知ゆえに、この偽りの宇宙が存在すると思い込む。しかし、世界の本当の成り立ちを心に知らせなければならない。そうして、心はブラフマンそのものであることを知ろう。

私たちの見方の誤りは無知のせいだと書かれています。無知は知らないってことではなく、間違いを本当のように信じていることです。次回は無知から読み始めるので、今後が楽しみだけど、最後に【心はブラフマンそのもの】とも書かれている。今まで心は本物ではない、心はプラーナなどとこの本で学んできたけれど、心も色々な側面があると思うけど、【”欲望に引きずられて楽しむ心は、無知ゆえに】ということはブラフマンは無知も含んでいるんだろうか?ブラフマンから全てが生まれると考えればそうかもしれないなって思いました。

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最後に

いつから難解なところに入っていったのか?

最近は毎回難しいね〜と言いながら読んでいますが、それでもそれぞれ自分の再認識や新しい気づきをもって帰り、わからないことは次への宿題にできるポジティブな環境です。

こんなふうに同じ意識でいると、だんだん自分が変化していくのがわかります。

今、個人的に向き合っている、「性格は変えられる」にも通じているかもしれません。

Yoga BIja

加藤

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